「中村」の「仲」(その2)

(その1)


秀吉の母大政所の名前「仲」は「中村」から付けられた可能性があると思う。しかし単純にそう考えた場合には大きな問題が発生する。


たとえば「あずまんが大王」という漫画のキャラクターに、大阪から都内の高校に転校してきて「大阪」と呼ばれている女子高生がいる。実のところ「あずまんが大王」の漫画もアニメも見ていないので細かい設定は知らないけれど、都内の高校なら大阪で生まれたとか、小中学生の時に大阪から転校してきた生徒なら他にもいるかもしれない。とはいえ、高校で転入生は珍しいし、その生徒が大阪弁を話していたら「大阪」と呼ばれるのは不自然なことじゃない。現実の世界でも、たとえば俺の親類に大阪に住んでいる人がいるけれど、名字が同じだから「大阪の親類」とか「大阪のおじさん」などと呼んでいる。だが、大阪から東京に転校してきた人間を「東京」と呼ぶということは、まず有り得ないだろう。大阪に住んでいる彼女の旧友が「東京に引っ越した友人」という意味で「東京の友人」「東京」と呼ぶということなら有り得るかもしれないが。


したがって、「なか」の場合も「中村」に住んでいるから「なか」と呼ばれたなどと単純に考えることはできない。彼女は御器所村出身だから「御器所」にちなんだ名前で呼ばれる方が自然だ(あるいは彼女の両親が「村雲」に関係するという伝説が事実なら「村雲」と呼ばれるとか)。


それに「中村」に住んでいるから「なか」などという単純な理由だったら彼女以外にも中村には「なか」という名前の人物が相当数いるはずだ。同じ名前の人間が多数いたって「鍛冶屋のなか」とか区別して呼べば思うほど不便ではないのかもしれないが多少の混乱はあるだろう。しかし、そもそも村の名を付けるという風習自体を俺は知らない。


それではやはり「中村」と「仲」は関係ないのかといえば、そう簡単に切り捨てるわけにもいかないと俺は思う。なぜなら秀吉の妻の北政所の母が「朝日村の朝日」だからだ。秀吉の実母が「中村の仲」で義母が「朝日村の朝日」であるということを無視して良いものではなかろう。


じゃあどう考えればいいのかといえば良くわからない。「中村」と「仲」に関係があると考えた場合、いくつもの可能性があると思われる。


第一に、秀吉の母は実は「仲」とは呼ばれていなかったという可能性。「仲」という名前がいつの史料から確かめられるのか俺は知らない。第二に彼女は「仲」と呼ばれていたが、中村在住時ではなくて中村から移転してからという可能性。「中村から来た人」だから「なか」と呼ばれた(あるいは名乗った)とすれば辻褄が合う。


そして第三に中村在住の時に「なか」と呼ばれたが、それは中村在住だから「なか」という単純なものではなかった可能性。たとえば城主の妻などの貴人の場合は、その土地の名前で呼ばれることは珍しいことではない。なぜ土地の名で呼ばれるかというと、土地の内部では「御台所様」とか「北の方様」とか呼べば済むが、もっと広範囲の人々が彼女を呼ぶときには「御台所様」ではどこの御台所様かわからないから、そう呼ぶのだと思う。「なか」の場合は中村に留まらない広範囲で活動していたのかもしれない。あるいは、「なか」は中村の人々にとって特別な存在だったのかもしれない。中村の人々の中で「なか」という名前は誰でも名乗ってよいわけではなくて、特別な者だけに許された称号だったのかもしれない。


どういう理由で彼女の名前が「仲」になったのかはわからないし、正解にたどり着くことは不可能に近いとは思うが、検証してみる価値は十分にあるだろうと俺は考える。そして同時に「朝日村の朝日」についてももっと検証するべきであろう(朝日については、具体的にどう指摘されているのか知らないのだが、朝日長者との関係が指摘されていると聞く)。


ここで気になるのが「朝日」も「なか」も金属に関係がある名前ではないのかということ。「朝日」という金属地名があることは間違いない。「なか」も「那珂」「那賀」などが金属地名として指摘されていたように思う。「なか」に関しては「ナーガ(蛇神)」との関係も指摘されている。個人的には「朝日」「なか」ともに水とも関係しているのではないかと考える。そういう方面からの考察も必要だろう。