小谷野 敦先生からトラックバックいただきました

「国際グラフ」からの電話 - 猫を償うに猫をもってせよ


小谷野先生は小和田哲男先生のこと「ノーマーク」だったそうですから一応書いておきますけれど、「小和田哲男 武功夜話」でグーグル先生に質問してみると面白いかもですよ。俺は小和田先生というと、この話題ばっかりになってしまうんで、逆につまらないけど。で、福田千鶴先生の『淀殿』には、『武功夜話』からの引用がたくさんありますね。俺はその部分、ほぼ抜かして読んだけど。
武功夜話 - Wikipedia



あと、書くの忘れていたけれど「天璋院篤姫」。彼女は近衛家の養女となり、藤原敬子(すみこ)となり「篤君」となりました。摂関家の姫は「君号」で呼ばれるのだそうですね。福田先生は『将軍家に生まれた女子は「姫君」と呼び、』って書いてるけれど、それだけじゃないみたい。「篤」は将軍家御台所になり「篤姫君」になったのだそうです。「朝日君」(秀吉妹)、「於江与君」(秀吉養女)と書かれているのは、豊臣氏(うじ)の女性だからだったりして。個人的にはそうじゃないほうが都合良いけれど。


徳川将軍家正室一覧 - Wikipedia

本理院が「中の丸殿」、浄光院が「小石君」、天英院が「照姫」、広大院が「茂姫(篤子)」、天親院が「有君」、澄心院が「明君」、天璋院が「篤君」かな?ざっとネットで検索しただけなので「君号」がわからないのもある。自信なし。



7歳年上? - 膏肓記
幾島=得浄院 - 膏肓記
(疑問)天璋院篤姫は「篤子」(あつこ)? - 江戸時代研究な日々



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