織田信長の通称は「三郎」。
それについて、織田信秀の三男だったから三郎なのだという説がある。俺がネットを始めた頃に掲示板で、そういう話題が結構あった。
Wikipediaには、
とあり、
^ 異母兄が2人いるとする説がある。この説は小和田氏によるもので、『武功夜話』などに基づくことから信憑性が薄い。この異母兄とされるのが庶兄・信広と異母弟・信時(秀俊)であるが、信時は他史料や系譜では五男または六男とされているため、織田氏研究者の間で議論になっている。
と注がある(また小和田氏か、あと八切止夫も言ってたような気が、あと井沢元彦)。
また、その下の「少年期」では、
と「次男」と書いてある(フロイスの報告書にそうある)。
しかし、信長が「三郎」なのは、三男だからではないと考えられる。
この三郎とは、清洲三奉行家の一つ織田弾正忠家の嫡男が名乗る「仮名(けみょう)」という名乗りである。
(『図解雑学 織田信長』西ヶ谷恭弘 ナツメ社)
信秀も信定も「三郎」だ。
⇒織田信秀 - Wikipedia
⇒織田信定 - Wikipedia
では、なぜ「三郎」なのかといえば、わからない。それに、あまり関心を持つ人もいない。
検索してみると、信長系統の祖が三男だったからだろうと考察しているものもある。そうなのかもしれない。しかし、もっと深い意味があるのかもしれない。
そこのところを、妄想をたくましくして推理してみたい。
(つづく)
※ちなみに信長の異母兄、信広は、通称「三郎五郎」
⇒織田信広 - Wikipedia