蓬莱宮のかんてん

当時、四国統一を目指していた長宗我部元親は、嫡男の弥三郎(長宗我部信親)の烏帽子親を天下統一を目指していた織田信長に依頼し、織田家と同盟しようと考えていた。家臣は家老を遣わすべきだと主張したが、元親の鶴の一声で可之助に決まった。早速可之助は尾州へ赴き、信長と会見したが、信長は可之助に向かい、「元親は無鳥島の蝙蝠だな」と言ったところ、可之助はあわてず「蓬莱宮の寛典に候」と答えた。信長はこの答えを賞賛し、烏帽子親を引き受け、元親の四国の切り取り自由も認めた。

中島可之助 - Wikipedia


ウィキペディアには「蓬莱宮の寛典」とあるが『土佐物語』には「蓬莱宮のかんてんに候」とかなで書いてある。ウィキペディアは「寛典」説を採用して書いているのである。


「かんてん」とは何かについてネットで調べたところでは

  • 「寒天」説。寒天の材料は「てんぐさ」であり「天狗さ」のシャレ
  • 「漢天」説。漢天とは「天の川」のこと。
  • 「寛典」説。「情けある取り扱い」だということ。

の3つがあるようだ。


しかし、いくらなんでも「天狗さ」はないだろうと思う。「さ」が余計だし、一般的に天狗は良い意味じゃ使われないし。次の「天の川」というのも考えてみればおかしな話だ。蓬莱宮の天の川と蓬莱宮以外の天の川とは異なるものだろうか?消去法でいえば「寛典」ということになるかもしれないが、「蓬莱宮の寛典」となるとやっぱり不自然な感じがする。


そもそも「蓬莱宮のかんてん」と仮名で書いているのは『土佐物語』の作者も意味がわからなかったからではなかろうか?とすれば可能性として、本当は「かんてん」ではなかったものが誤って作者に伝えられたということもあるかもしれない。


なお、「特に意味はない」という説もある。なかなか魅力的な説ではある。
“蓬莱宮のカンテン”とはなんぞや | 低能計略!


ただし、気になるのは「蓬莱宮」の方だ。「かんてん」は意味不明でも、「蓬莱宮」の法は意味ありげだから、やっぱり「蓬莱宮のかんてん」にも意味があるのではないかと思ってしまうのである。


(つづく)