土用の丑の日(その2)

うなぎ料理の歴史

 現在のように、開いて、タレを付けて食べるようになったのは、18世紀頃から。そして天保年間(1781年〜1789年)に、千葉県銚子にある現在のヒゲタ醤油、五代目当主田中玄蕃(げんば)が、濃い口醤油を作り出した。
 それまで、良い醤油は関西にから入って来たが、濃い口醤油が江戸の人の嗜好に合い、うなぎの蒲焼きを始め、寿司、天ぷらが爆発的に流行した。これがひいては、関西の薄味に対して、関東は濃い味と言う、料理文化になって行くのである。

年号は明和(1764〜)、安永、天明、寛政、享和、文化、文政、天保と続く。うなぎの蒲焼が流行したのが明和であろうと、安永・天明であろうと18世紀。


ちなみに平賀源内は1728年- 1780年大田南畝蜀山人)は1749年- 1823年。


「伝説」が仮に事実であろうとも(多分違うと思うが)、鰻の蒲焼が売れるようになった最大の原因は「味が向上したから」ということだろう。


もちろん、なぜ「土用丑の日か」という問題の答えにはならないけれど。