ザビエルの件がこれだけの騒動になったのは「日本凄い」という主張が気に食わないという理由で批判した人が多数いるということなんだろう。ところが、それは元記事の誤読によるものであり「先祖が救われないのか」と質問したことは「日本凄い」ではなく単なる文化・価値観の違いより発せられたものであり、元記事もそれをもって「日本凄い」なんてことは言ってないのである。常日頃から「日本凄い」という話があったら叩いてやろうという連中が勝手に思い込んで勝手に叩いているのである。
なおTogetterまとめを作った人の動機は別にあるのだろうと思われる。おそらくは「ザビエルが論破された」(もちろんこれもそんなことは元記事に書いてないのだが)という点が気に入らなくて批判したのだと思われる。そこに有象無象が気に入らない主張をしている記事を批判する記事に敵の敵は味方とばかりに便乗したという話であろう。
ところで、「日本凄い」といえば面白いものが見つかった。
⇒極東ブログ: ザビエルが見た四五〇年前の日本人
さて、教育はどうだったか。
住民の大部分は読み書きができる。
これが実に不思議。未だに日本のスケールの国家で文盲率がゼロなんて国はない。それどころか近代科学知識を欧米語を知らずにそれなりに身につけられる国もない。GHQが漢字をめちゃくちゃにする前は中国人も朝鮮人も日本の翻訳書を読んだ。テニヲハさえ覚えれば日本語の書き言葉なんてアジア人なら普通に読めるんだもの。しかし、その危険性を察した諸外国の権力者は日本語がアジアに普及しないようにしたなーんて陰謀論はいかかが、ダメダメ。
これぞまさに「日本人凄い」。ザビエルが日本についてそう記したのは事実である。
だが、ちょっと待ってほしい。当時の日本の住民が本当に「大部分は読み書きができる」という状態だったのだろうか?
このような描写は、この当時の薩摩地方の武家社会の生活を念頭において、はじめて了解することができる。ことに読み書きを知るものが多く、また知識を求め、道理に合うことを聞くのをよろこぶというような高い教養は、当時としては一ぱんの庶民の間にはとうてい見られなかつたことに相違ない。
ザビエルは渡航の前にえがいた希望的な観測をそのままおしすすめて、日本人は道理を解するから、大部分がキリシタンとなることを期待することができると考えたのであつたが、これは安易な予測にすぎなかつた。
(『キリシタン・バテレン』岡田章雄 至文堂)
現代においてテレビなどで良く紹介されてる日本を過剰に誉めたたえるガイジンさんみたいなザビエルさんであった。
なおfinalvent氏はあのTogetterをブクマしているのであった。
⇒はてなブックマーク - finalventのブックマーク - 2013年2月8日