新自由主義と金融政策

「金融緩和」=「新自由主義」? - Living, Loving, Thinking

ここで問題なのは、「金融緩和」=「新自由主義」という印象を植えつけようとしていることだろう。「規制緩和と金融緩和で景気を拡大させる、という新自由主義」だって。「新自由主義」は「金融緩和」よりも寧ろ金融引き締め、緊縮財政に親和的なんじゃなかろうか*1。竹中平蔵が「リフレ派」に入るかどうかというのは検索してみると、議論の対象になっている。「リフレ派」の代表人物のひとりである田中秀臣氏は「リフレ派」に入れているけれど、


俺が経済のド素人だけれど…



新自由主義」(「保守」もそうだけれど)は権力の介入を嫌うわけですよね。であれば金融緩和でも金融引き締めでもなく「市場に任せろ」ということになるでしょう。


とはいえ、金利の急激な上下動、あるいは長期的には上昇(または下降)トレンドにあるとしても一時的に実態とかけ離れた金利となって混乱することで景気に悪影響を及ぼす恐れがあるわけで、その調節はやむをえないとはいえるでしょう。しかし、景気を良くするために金利を操作するなどということは基本的に受け入れられないでしょう。


一時的にうまくいったように見えたとしても、そのような人為的な操作は複雑な現実の社会に通用するはずもなく結局失敗するだろうと考えると思いますね。社会主義・計画経済に反対する理屈がこのようなものなのに、金融政策に関しては権力の主導で改善できる(するべき)と考えているとしたら矛盾してると思いますけどね。


※ フリードマンが金融緩和を主張したのはどうしてかというのは素人の俺には良くわからないけれど、金融引き締めが民間の設備投資を抑制している、つまり日銀が民間の邪魔をしていると考えたからじゃないでしょうかね。まあ、普通そう考えるんだけれど。「邪魔をしているものを無くすことで流れを良くする」というのと「介入して尻を叩く」というのは別のことではなかろうかと思うわけです。まあ、このへんは全く自信ないんだけど。


※ ちなみに朝日新聞は一般にソーシャルなリベラリズムだと思われているけれど、それは政治部や社会部などはその通りだと思うんだけれど、経済部はリバタリアニズムの巣窟ではないかと昔から思ってる。名前ド忘れしたけど今日テレビに出てた朝日新聞の人も「国にできることには限界がある」って言ってた。この人確か経済部出身の人。山田厚史もウィキペディアで見たら経済部に在籍していたそうだ。