麻生太郎が何を言いたかったのかを推理する

東京新聞:あの手口を学んだらどうか 麻生氏の発言要旨:政治(TOKYO Web)


正直何を言っているのかわからない。わからない責任は麻生氏にあることは疑いない。だからといって麻生氏がナチスを肯定する発言をしたと決めつけるのには躊躇せざるをえない。それはなぜかといえば、俺が麻生氏の支持者だからというわけでもないし擁護したいからでもない。


「いくら何でもそこまでバカではないだろう」と思うからだ。もし本当にナチスを肯定したのなら、それは極めて愚かな行為である。ナチスを肯定するということは麻生氏はナチス信奉者だということになる。しかし常識的に考えてそんなことはまず有り得ないだろうと思う。


「いやそんな考えは甘い、麻生がナチス信奉者の可能性は十分ある」と考えている人もいるんだろう。というか結構いる。この時点でオカルトや陰謀論に嵌る資格を十分備えた人達だと思う。しかし可能性としては全くないともいえない。しかし万一麻生氏が本心ではナチスを信奉していたとしても、それを公表するだろうかといえば、やはり、そんなことは有り得なさそうに思われる。日頃からナチスを信奉していることを公言している活動家なら平気でナチスを肯定する発言をするだろうが、「隠れナチス信奉者」がいきなり講演会でそのような発言をするなどおよそ考えられない。


したがって、常識的に有り得ない上に、さらに有り得ないような発言である。もちろん本当にナチスを肯定した可能性もある。しかし、そう決めるのは、あらゆる可能性を検討して「それ以外に考えられない」となった後でなければならない。


それなのに、いとも簡単にそう決め付ける人というのは、かなりアブナイ人であるといって差し支えない。麻生氏の発言がわかりにくいからだという言い訳は通用しない。わからないのなら「何を言っているのかわからない」とすればいいだけのことだ。それ以上のことを言うのならば、相手に非があろうともそれはその人の責任だ。


前置きが長くなったが本題。麻生氏は何を言いたかったのか?

 日本が今置かれている国際情勢は、憲法ができたころとはまったく違う。護憲と叫んで平和がくると思ったら大間違いだ。改憲の目的は国家の安定と安寧だ。改憲は単なる手段だ。騒々しい中で決めてほしくない。落ち着いて、われわれを取り巻く環境は何なのか、状況をよく見た世論の上に憲法改正は成し遂げられるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない。

麻生氏は改憲には賛成であることがわかる。ただし「騒々しい中で決めてほしくない」という。なぜなら「そうしないと間違ったものになりかねない」からだという。


ここに既に複数の受け取り方ができる余地がある。「騒々しい中で決めると間違ったものになりかねない」とはどういうことか?これは「騒々しい中で決めると間違った憲法が出来上がる」という意味に受け取れるかもしれない。しかしそうではないようにも思う。「騒々しい中で決めると、たとえ表面上は良い憲法が出来たとしても良くないことが起きる」ということを言いたいのではないかと思われる。


それを考える上で、その前の「護憲と叫んで平和がくると思ったら大間違いだ」の意味を考える必要があるように思われる。「日本が今置かれている国際情勢は」云々とあるので、「護憲を叫んでいても外国が攻めてくる」という意味に受け取れるのではないかと思われるが、そうではなく「現行憲法でも国際情勢に合わせてずるずると拡大解釈されていく」という意味があるようにも受け取れる。現に現行憲法の下で集団的自衛権が認められるという話がでてきている。また、後の話との繋がりからもそういう意味である可能性は十分ありえる。

 ドイツのヒトラーは、ワイマール憲法という当時ヨーロッパで最も進んだ憲法(の下)で出てきた。憲法が良くてもそういったことはありうる。

これはそのままの意味である。麻生氏の発言の主旨が「たとえ良い憲法であっても良くないことが起こり得る」ということがよくわかる。なお「良い憲法」というのは、麻生氏の立場を考えれば憲法のことを念頭においていると考えるべきであろう。これを現行憲法のことと考えて「ワイマール憲法ナチス」と「現行憲法憲法改悪」という意味だとするとナチス憲法を制定しないので意味が通じない。麻生氏がナチス憲法を制定したと勘違いしているという意見があるみたいだが、これは麻生氏の説明が悪いからではなく、ただの誤読である。

 憲法の話を狂騒の中でやってほしくない。靖国神社の話にしても静かに参拝すべきだ。国のために命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かにお参りすればいい。何も戦争に負けた日だけに行くことはない。

これは本筋とはあまり関係が無い。「狂騒」は良くないという話。


で、問題はこれ。

 「静かにやろうや」ということで、ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか。僕は民主主義を否定するつもりもまったくない。しかし、けん騒の中で決めないでほしい。

「静かにやろうや」とは今までの流れからいえば、憲法改正を「静かにやろうや」ということのはずだ。ところが、ここでは憲法が制定された後に「気がつかない間に変わった」という話をしている。ここが難解だ。


しかし、これは「静かにやろうや」と「気がつかない間に変わった」を同じ意味に受け取ってはいけないのではなかろうか?


話の前半で、良い憲法であってもヒトラーが登場するという話をしていた。それが「気がつかない間に変わった」ということだ。ヒトラーか国民に熱狂的に支持されていた。すなわち「喧噪の中で気がつかない間に変わった」と麻生氏は言いたかったのではあるまいか?


「あの手口を学んだらどうか」とは、「これを参考にして表向きは良いことをいって後で自分達の都合が良いようにしてしまえばいいではないか」ということではもちろんなくて、「ドイツの事例を教訓にして憲法改正は落ち着いてやるべきだ」ということを言いたいのではなかろうか?