一つ確認したいのですが、喧騒の中で全権委任法が制定されたので、悪法ではなく良き法だとみんなが納得してしまった、とお考えですね?
そうすると、当時ナチスに弾圧されていた国民もそこに含めるのでしょうか。
あるいは、弾圧がなかったとお考えですか?
これについては訂正します。
麻生発言は
でした。これについて、憲法が変質してしまた一連の出来事(全権委任法の制定だけとは限りません)について、その危険性に気づくことなく、議会の混乱に対処するための良い方策だと考え、ナチス党だけではなく、その他の政党も賛成して民主主義的な手続きによと変質していった。それらの政党を支持したのは国民であり、そのことを言っているのだと考えていました。
しかし、これは「みんないい憲法と、みんな納得して」であろうと思われます。
すなわちワイマール憲法は「いい憲法」だと「みんな納得して」いたということでしょう。
麻生氏の発言の主旨は「どんなに良い憲法でも運営によって変質してしまう可能性がある」ということだと考えられますので、ここでも「ワイマール憲法はみな良い憲法だと納得していたのに変わってしまった」ということだと考えられ、ここで訂正します。
※ なおワイマール憲法を「みんな」が納得して支持していたかということに関しましては、もちろん一人の反対者もいなかったということはないと思われるので、「皆」が「全員」という意味であるとする国語辞書的な意味では間違いであるといえるでしょう。
弾圧がなかった場合、喧噪や狂乱や狂躁と言った麻生の表現はどう解釈しますか?
麻生発言では
であり、「喧噪」「狂乱」「狂騒」という言葉はここに登場しません。故に「静かに変えた(本当は「変わった」ですが)と誤解されたのだと思います。後の弁明で「喧噪」という言葉を使っています。
「喧噪」とは、当時のドイツは高失業率であり、それに対して政治は少数の複数政党が乱立し混迷しており政治の安定が求められていた。その対処を優先したために、問題点が軽んじられて、結果的にナチスにとって有利なものになってしまったということを指していると考えます。