麻生氏は「静かにしようや」と誰に言ったのか?

はっきり言えば麻生発言の主旨はメディア批判である。メディア批判をメディアがつぶしにかかってるようにしか見えないのだが、考え過ぎなのかね?

麻生の憲法発言を捏造したマスコミ - 狐の王国


このシンポジウムは桜井よしこ氏が理事長を務める「国家基本問題研究所」が都内のホテルで開いたものだ。
朝日新聞デジタル:ナチスの憲法改正「手口学んだら」 麻生副総理が発言 - 政治


聴衆はいわゆる「右」の方々であろう。「右」の中でもさらに「右寄り」な方々であるといえるかもしれない。本人達はそう思ってないかもしれないが。


その中で麻生氏は次のような発言をした。

 靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。

 何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。

 僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。

 昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。

「いつから騒ぎにした。マスコミですよ」。麻生氏はマスコミが原因だとしている。その認識が正しいかはともかく、聴衆も大きな拍手で応えているから、その考えを共有しているのだろう。


では、「静かにやろうや」はマスコミに向けて言ったのか?これをいったときに聴衆の中から笑い声が聞こえる(ただし少人数)。マスコミに向けて言ったと受け止めた人もいたのだろう。


しかし麻生氏は最初に

 靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。

 何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。

と言っている。そして最後に「静かにやろうや」と言ったのだ。


すなわちこれは「マスコミが騒いだのが問題だが、あなた方も静かにしてくださいね」という意味であると解釈するのが妥当であろう。


それが聴衆に伝わったかといえば、伝わってない可能性が大きいが。


その後に麻生氏は例の「あの手口学んだらどうかね」という話をした。これは「ナチスに見習ったらどうか」という意味ではなく、「悪しき例として学ぶべきだ」という意味である。


それに対して聴衆から大きな笑い声と拍手が聞こえる。一体彼らはこれをどう受け取ったのだろうか?


聴衆の中にはこれを「皮肉」と受け取った人がいたようだ。一体どんな皮肉なのかいくら考えても理解できない。「皮肉っぽく言ったから皮肉だと思った」ということだろうか?


麻生氏が「学んだらどうかね」と言ったとき学ばなければならないのは誰というつもりで言ったかといえば、一義的には「国民」ということになるだろうが、これは講演会での発言なので聴衆に向かって「学んだらどうかね」と言っているのだ。しかし「聴衆は自分は関係ない」とでも思っているのではないだろうか?あるいは「ナチスに見習おう」という意味のジョークを言ったと思って笑ったのかもしれないが。少なくとも聴衆の多くに伝わらなかったことは間違いないだろう。


これは「メディア批判をメディアがつぶしにかかってる」というよりは、


「麻生氏が身内に警鐘を鳴らしたら、なぜか左よりの人達がつぶしにかかってきたでござる」
という話でしょう。


「敵」に対する批判は容易だが、「身内」に対して耳の痛い発言は敵にも身内にも理解されにくいというネット上でも割とよくある話でしょう(もちろん麻生氏の説明が下手だという要因があることは言うまでもないが)。