(メモ)麻生発言と日本史関係の研究者

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ナチスに倣え - 森田悌の徒然随想
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2013年の8月6日ヒロシマの条 - yaaさんの宮都研究


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「無知」と「傲慢」 - 黒古一夫BLOG


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麻生財務相の「ナチス発言」問題を振り返る - 礫川全次のコラムと名言


常日頃から、こういう反応をする人達だろうとは思ってたけれど、それでも凄く落胆する。麻生氏や安倍氏のことを嫌いなのは構わない。麻生発言を正確に理解したとしても彼等にとっては気に食わない相手であろう。


でも、歴史学民俗学や文学研究に携わる者にとって、史料を正確に読み取ることができないというのは致命的なことのはずだ。


最近の発言さえ歪んだ理解をしてしまう人が、どうやって過去の史料を正確に解釈することが可能なのだろうか?史料には文章の下手な人のもあれば、誤字・脱字があるものもあるはずだ。だからといって恣意的な解釈をしてはだめでしょう。ましてや自分の都合の良いように解釈して何らかの主張をするのは最早歴史の意図的な改竄である。


残念すぎるとしかいいようがない。さらに残念なのは麻生発言だけを誤解釈しているだけではなく、その他の現状認識においても危ういことだ。


たとえば麻生氏と安倍氏が一枚岩のように考えている。彼らから見れば似たようなものということなのだろうが、そんな大雑把な解釈でいいのだろうか?彼らのような政治的立位置にいるものにとっても決して良いことではない。


また、ネットやマスコミの反応についても俺の見ている世界とは大いに異なる。

 「ヒットラーの手口をまねろ!!」と堂々と右翼の集会で発言した副総理兼財務大臣を、どの新聞も全面批判しない。誰も辞任要求しない。任命権者の安倍の責任を問わない。それどころか、朝日に至っては「また失言」とまるで軽口のごとく捉えて窘めるだけ。ある読売テレビの番組のコメンテーターに至っては「発言は悪いが、麻生さんはいい人だ。」と個人の性格にすり替える。

2013年の8月6日ヒロシマの条 - yaaさんの宮都研究

 もっとも、僕が麻生発言以上に「これは非道い・まずい」と思ったのは、麻生氏の発言に対してツイートした連中(どうも若い人たちのようだが)が、こぞって麻生発言について「全く問題ない」「その通りだ」と賛意を表していたことである。おそらくどこかの組織がそのような「動員」をかけての「賛意」ツイートなのだろうが、このことから改めてインターネット社会の「怖さ」を感じると同時に、麻生発言に「賛意」を表した人たちに対して、彼らもまた「歴史」に対して貧弱な知識しか持たず、そのような人たちがもしかしたら「また再びの道=戦争への道」を開いていくのでは亡いかとの思いを強くした。

「無知」と「傲慢」 - 黒古一夫BLOG


このような見方になるのは、麻生発言の真意は「ナチスを見習え」だと決め付け、麻生を徹底的に弾劾すべきであるのに、そうなっていないことにいらだちがあるからだろう。


事実はネットでもマスコミでも麻生批判が溢れかえっている。擁護しているのはむしろ少数だ(少なくとも報道以後しばらくは)。それさえも気にいらない。全員が弾劾しなければならないと考えているのだろう。


なぜなら発言の真意は明らかに「ナチスを見習え」としか解釈できないものであり、それを擁護するものはナチスを賛美しているのだと考えているからだろう。そう決め付けた上で嘆いているのだろう。文章からは擁護している奴等は誤解しているという可能性すら排除されている。全くひどいものだ。


ネットはともかくマスコミが彼らの思い通りに麻生氏を弾劾しないのは当然だ。まず真意を確かめなければならないからだ。マスコミは決め付けてはいないが、それでも強い口調で批判している。俺はそれが気に入らないのだが、逆に山中氏はマスコミが甘いと考えているわけだ。なんでそうなるかといえば「麻生氏の有罪は確定している」と確信しているからだろう。氏がそう考えるのはひどい話ではあるが個人の勝手ではある。しかし、それをマスコミにも要求する。恐ろしい話だ。