礫川全次氏の答えへの答え

ケルロイター教授、政治指導と軍事指導の一致を説く

麻生氏が「ナチスに近い人物」だと考えているわけではなく

私はナチスに見習うべきことがあると考えているということを「ナチスに近い」と表現しているんですよ。


私は麻生氏がナチスに見習うべきことがあると考えているとは思わない、少なくとも麻生発言からはそういう意味は読み取れないので「ナチスに近い人物」だとは考えないけれども、麻生発言を「ナチスに見習うべきだ」という意味で解釈している人は麻生氏が「ナチスの手口」を肯定してそれをするべきだと考えていると受け取っているのですよね。それが「ナチスに近い人物」だと考えているという意味ですよ。麻生氏のイデオロギーが「国家社会主義」だとかそういうことを言っているのではありません。


ある人物や組織をヒトラーナチスにたとえることがよくありますよね。たとえばブッシュ元大統領や、小泉元首相や、安部首相、橋下徹氏や石原慎太郎氏、あるいは曽野綾子氏のコラムでの発言等実に多くの人物がヒトラーナチスに譬えられています。礫川さんはそういうの見たことがありませんか?見たとして、それらは国家社会主義者だという意味でヒトラーナチスにたとえていると考えていたのですか?そういうのは「全体主義者」だとか「独裁者」だとか「人種差別主義者」だとか、その他文脈に沿って「何をもってヒトラーとの共通点があるとしているのか」ということを理解すべきものだと思いますけれど、そういうことはなさろうとしないのですか?


あるいは、親が子供に「○○ちゃんを見習いなさい」と言うときもそうですよね。そういう場合、「○○ちゃん」が勉強をしているとか、お手伝いをしているとか、そういうことを見習えと言っているんですよね。


そもそも、世間一般で麻生発言が問題視されているのは「ナチスの手口を見習え」という理解がなされて批判されているのであって、麻生氏が国家社会主義者だという意味で批判されているのではなくて、「ナチスの手口」が肯定されるべきものではないから批判されているのですよね。そして「手口」そのものも批判対象だろうけれども、それが「ナチスの手口」であることによって大きな騒ぎになったのですよね。


私は

ナチスに近いから「ナチスの手口を見習え」と言っている(と考えているの)ではないのですか?麻生氏がナチスとは程遠い人物なのに「ナチスの手口を見習え」と言ったのだと解釈している人がどこかにいるのでしょうか?

と書きましたよね。これで理解してもらえると思いました。なぜならば礫川さんのおっしゃるとおり、国家社会主義者でない者が「ナチスの手口」を見習うことはあり得るからです。


そんなことは普通に考えればわかることで、もちろん最初から承知しています。それが意味するところは私がそんな簡単なこともわからないバカだから「ナチスの手口を見習え」と発言する人物は国家社会主義者の他にないから、そういう解釈をする人は麻生氏が「ナチスに近い人物」だと考えているのだというトンデモ解釈をしていると礫川さんが理解しているということになりますね。逆に言えば私がそんな簡単なことがわからない人間ではないだろうと仮定すれば、「ナチスに近い」とはそういう意味で言っているのではない可能性に気づくということになりますよね


私の言っている「ナチスに近い」の意味が「国家社会主義思想に近い」という意味だと受け取れるとしても、それ以外の意味で言っているという可能性は考えなかったのでしょうか?あるいはナチスに近いというのはナチスの何に近いという意味か」という質問をぶつけようとは考えなかったのでしょうか?


私の説明の仕方がまずくて理解できなかったとしても、そこで「麻生氏の政治思想がナチス国家社会主義思想に近い」という意味で受け止めるという文章読解はいかがなものでしょうか?



そのあたり麻生発言の読解におけるのと同じことをしているように感じます。


こちらから質問しておいてなんですが、これでは失礼ながら今後の回答も期待できそうにありません。