麻生発言を擁護する人も誤解している件

批判している人が誤解しているのは仕方ないとして擁護している人も誤解している。それだけ麻生発言が誤解を与えやすい発言だったということだ。


麻生発言はナチ肯定なのか? - 紙屋研究所(まあ、この記事は擁護をした上で批判しているわけだが)

 問題は、「ナチスは悪い中身の政治をしたけども、その方法論は見事だった。180度かわるような大転換をやってのけてしまったのだから」という認識を麻生が持っていることなのだ。中身はダメだが、それと切り離した純粋な手口や方法は学んでもよい、という認識が麻生にはある。

そうではない。


何で、そんな解釈をしてしまうかというと、「気づかない」を「静かだから気づかない」と理解してしまうからだ。


静かに、こっそりと、ひっそりと、だったから気づかない。


しかし「気づかない」のはそういう場合だけではない。


「頭に血がのぼっていて気づかない」
「他のことに気を取られて気づかない」
「周りが騒がしくて気づかない」


そういう「気づかない」もあるのだ。そして麻生氏が言っているのもそういう意味だ。


麻生氏は前半で

狂騒、狂乱のなかで決めてほしくない。落ち着いて、我々を取り巻く環境は何なのか、この状況をよく見てください、という世論の上に憲法改正は成し遂げるべきだ。

と発言している。「狂騒・狂乱」と「落ち着いて」を対立する意味で言っている。そして「落ち着いて」いる状態で「我々を取り巻く環境は何なのか、この状況をよく見て」と言っている。


それなのに後半で「静かだから気づかない」という意味のことを言ったと解釈してしまう。「静かだから気づかない」の反対は「騒がしいから気づいた」ではないか。麻生氏の目論見が「静かに」憲法を改正することなら、騒げばいいということになるではないか。


しかし、麻生氏は「狂騒・狂乱」と「落ち着いて」を反対の意味で使っている(日本語として極めて正常だが)のだから、騒げば「我々を取り巻く環境は何なのか、この状況をよく見」ることができないということになるではないか。


よって、「静かだから気づかない」と解釈して麻生氏を擁護している人は、擁護しているように見えて、麻生氏のことを「ちょっと前に言ったことと全く矛盾することをいうバカ」と認定していることになる。


しかし事実は、「気づかない」といえば、いつまでたっても「静かだから気づかない」ということしか思い浮かばないこの人達の方こそが、麻生氏の発言が誤解を招きやすいものだとしても、どうかしてるのである。