自由主義の要点?(その10)

次にマルクス主義について。

共産社会の高次段階では、自由時間が大幅に増えることで、人間の活動のうちで、互いに他者との必然的依存関係の中で行動しなくてもよい時間がメジャーになると考えているようです。それゆえそこでは、各自が多様な個性をぞんぶんに発揮する「真の自由の国」が実現されるとみなしているようです。

俺の理解ではマルクス主義私有財産を否定している。とすれば自己の肉体をどのように使用するのかも(自由主義的な意味での)「自由」ではない。


ある人物が善意で何らかの行動をしたとする。それ自体は良いことかもしれない。しかし社会全体で見たときにはそれは比較的充実していて、それよりも他に決定的に不足しているものがあるという判断があったとする。その場合、彼は本来そっちに振り向けられるべき自己の肉体を、別の目的に使用したことになり、社会正義に反したことになる。


したがって何が足りていて何が不足しているのかという判断は共同体の成員の全員が一致していなければならず、別個の判断が存在してはならない。それは自由主義のいう「真の自由」ではない。


では「その何が足りていて何が不足しているのか」という判断を誰がするのかということになるが、そのような社会を理想としているからには、中央政府が判断しなくても理性の力で可能だと考えているということになる。しかしそんなことは到底不可能だから結局のところ誰か(または誰か達)が独断的に決定することになるだろう。だが彼は独断であることを認めることができないから、それが社会全体の一致した意思、または絶対的な真理であると主張することになるだろう。


現に共産主義国家では99%とか100%の支持率などというものが珍しくないが、それらは強制されたものではなく人民が自由に自発的かつ理性的に考えた結果ということになっているのである。これは単に自分が指示されていることをアピールしたいためだけではなく、そのイデオロギーから導きだされるものなのである。


自由主義においては、そのような判断の機能は理性ではなくてマーケットが担うことになっているのである。