自由主義の要点?(その11)

書き忘れていたので追記

共産社会の高次段階では、自由時間が大幅に増えることで、人間の活動のうちで、互いに他者との必然的依存関係の中で行動しなくてもよい時間がメジャーになると考えているようです。それゆえそこでは、各自が多様な個性をぞんぶんに発揮する「真の自由の国」が実現されるとみなしているようです。


共産社会の第一段階では、労働時間がまだメジャーなので、そこまではいかないのですが、各自が他者のニーズに応じた労働をして、労働に応じた分配を等労働交換で受け取るよう、納得づくで調整しあうことが想定されているようです。
マルクスの共産社会の第一段階ではすでに「中央」というものはなくなっているので、諸個人が水平的に調整しあうイメージだと思います。

高次の共産主義というものがそういうものだとしたら、つまり「中央」というものがなくなっているのだとしたら、

それを無理に中央で決めると、現場の事情を離れた勝手気ままな決定によって人々が振り回されてしまいます(*6)。それは、全体主義への道であるだけでなくて、文明を破壊し、将来の進歩を不可能にしてしまう(*7)と言います。

という問題は発生しなくなることになるのではないか?


だったらこの点に関して「高次の共産主義」と「自由主義」に何の相違があるのだろうか?


リスクのある判断をしたものは失敗したときに責任を取らされ、成功したときには褒美があるというところが違うのか?


しかし、それなら共産主義を選択して功績のあった者には勲章でも与えておけば良いのではないか?それも格差につながるからダメということか?共産主義国家では勲章が多用されているようにも思うけれど。


もちろん俺は根本的な相違はそんなことではないと思うのである。