「あざい」か「あさい」か(その2)

「南部文書」について『大日本史料』では


「あさいびぜんのか□」
「あさいしもつけのかミひさまさ」
「あざいびぜんのかミながまさ」
「あざい三たい」


となっているけれど『東浅井郡志』では


「あいびぜんのか
「あさいしもつけのかひさまさ」
「あざいびぜんのかながまさ」
「あざい三い」


となっていた。「ミ」と「み」の違いは変体仮名の「三」をどう表記するかという話だと思うけれど、濁点の有無は判読が難しかったということだろうか?


違いは他にもあって、
「きうくわいそうごこぢ」と「きうぐわいそうごこぢ」
「りやうざん」と「りやうさん」
「御てし」と「御でし」
「二たゐめ」と「二だゐめ」
「とくしゃうじ」と「とくしゃうぢ」
「二たいめ」と「二だいめ」
「御てし」と「御でし」
「さんぜんなとのぎ」と「さんぜんなどのぎ」
「ねんころになされしにつゐて」と「ねんごろになされ候ニついて」
「さりなから」と「さりながら」
「くわんねん」と「ぐわんねん」
「けいちやう十六ねんまてハ」とけいちやう十六ねんまでハ」
「しかれハ」と「しかれば」
「御すちめをたがへす」と「御すぢめをたがへず」
「いたるまて」と「いたるまで」
「ごんぎやう」と「ごんぎよう」
「おこたらす」と「おこたらず」
「御とふらい」と「御とぶらい」
「しかれハ」と「しかれバ」
「ぼうす」と「ぼうず」
「たゝいまのふんにてハ」と「たゞいまのぶんにてハ」
「あざい三たい」と「あざい三だい」
「あひた」と「あひだ」
「このふんを申あけ候ハゝ」と「此ぶんを申あげ候ハゞ」
「さやうに候ハゝ」と「さやうに候ハゞ」
「みらいまて」と「みらいまで」
「そなへらるへく候」と「そなへらるべく候」
「あひた」と「あひだ」
「あひた」と「あひだ」
「その一きをそんし」と「そのことばを存じ」
「候へとも」と「候へども」
「うへさま」と「うへ様」
「かなわさる」と「かなわざる」
「ひせんのかミ殿」と「びぜんのかみ殿」
「申されす」と「申されず」
「あるましく」と「あるまじく」
「ねんころにハ申あけす候」と「ねんごろにはあげず候」
「おほせあけられ候ハゝ」と「おほせあげられ候ハゞ」
「かたしけなかるへく候」と「かたじけなかるべく候」

(前が『大日本史料』、後が『東浅井郡志』)


東浅井郡志』の方が濁点多い。例外は「りやうざん」と「りやうさん」で漢字で書けば「龍山」。


東浅井郡志』は全て濁点を付けているのかといえば「しかれは」という記述もある(これだけだけど)。「開闢」を「かいひやく」と書いているけれど古くは「かいひゃく」と読んだので濁点は不要なのだろう。