金閣寺「幻の巨大仏塔」

金閣寺、幻の巨大仏塔の遺物か 相輪の一部?破片発見

誰でもそれなりに大発見だと感じるとは思うけれど、俺にとっては超衝撃的なニュースだった。


そもそも金閣寺に大塔があったという記録があるというということを俺は全く知らなかった。そのことからしてショックである。これってどのくらい有名な話だったのだろうか?歴史に関心がない人が知らないのはいいとして、俺みたいに歴史に関心があり、金閣寺について精通しているというわけではないけれど関心があるってレベルの人間が知らなかったというのは、恥ずかしいことだったのだろうか?前にネットで金閣寺について調べたときにはそんなことを書いてるところは無かったように思う。所詮ネット情報であって不十分なのは当然かもしれないが、それなりに有名だったらそれを書いた記事を見つけてたと思う。なおウィキペディアの現在の記事にそれは記載されているが、編集履歴を見ると2010年12月18日 (土) にこの部分が追加されている。
「鹿苑寺」の版間の差分 - Wikipedia

また、応永23年(1416年)1月に義満が相国寺から移築した大塔が焼失すると、義持は大塔を本来の所在地である相国寺に再建するように命じている細川武稔 「足利氏の邸宅と菩提寺 -等持寺・相国寺を中心に-」『京都の寺社と室町幕府』(吉川弘文館)2010年(原論文は『史学雑誌』第107編12号、1998年)

おそらくこの2010年に発行された論文集によって知られるようになったのだろう(論文自体は1998年)。俺が調べたのはそれ以前のことだから、よほど詳しい人なら知ってたかもしれないけれど、それほど有名ではなかったのかもしれない。


(つづく)