明智光秀の妹「御ツマキ」について(その1)

明智光秀の妹「御ツマキ」について、あれこれ論じられていることは、俺がネットを始めて信長についての掲示板や記事を見たとき(2002年頃)から知っているんだけれども、ネット以外の書籍等でどう論じられているのかはよく知らない。


発端は勝俣鎮夫氏の論文(2003)のようだが未読。おおよそのことはネットその他で把握。次に桐野作人氏『だれが信長を殺したのか』(2007)。池上裕子氏『織田信長』 (2012)、谷口研語氏の『明智光秀』(2014)に言及あり。あと横山住雄氏『織田信長尾張時代』に言及あるそうだが未読。あとはそれ以前に高柳光寿氏の『明智光秀』(1958)に言及あり。他は知らない。あったら教えてほしい。是非読みたいから。


高柳氏の時代には「御ツマキ」は単に光秀の親族という関心でしか無かっただろうと思われるが、「御ツマキ」が信長の側室だった可能性が指摘され、光秀と信長を繋ぐ強いパイプを失ったことが本能寺の変の遠因にあるとされ、注目されるようになった。また光秀の出自が土岐明智氏ではなく土岐妻木氏であった可能性も指摘されている。


ただし、それほど文字数を割いて書かれているわけではないので、どこまで詳細に検証されているのか不明。一番詳しいのは前にも紹介した桐野作人氏のブログ記事『膏肓記 拙著本日から発売!』のコメント欄の桐野氏とTm.さんの会話ではないかと思われ。


しかし、この件はまだまだ考察しなければならない点が山ほどあると思われるけれど、その点についてどう考えられているのか不明。


それについて書いてみようと思う。