明智光秀の妹「御ツマキ」について(その3)

ここからが本論。


先に書いたように俺は『多聞院日記』の記事にはまだまだ考察すべきことが多々あると思う。もっとも諸解説本で紹介されている

去七日・八日ノ比歟、惟任ノ妹ノ御ツマキ死了、信長一段ノキヨシ也、向州無比類力落也

の部分だけでは、どこにそんなに考察すべきことがあるんだとなるだろう。しかし、この条文を最初から書くと

一 今曉惟任被歸了、無殊儀、珍重々々、去七日・八日ノ比歟、惟任ノ妹ノ御ツマキ死了、信長一段ノキヨシ也、向州無比類力落也、

である。すなわち明智光秀は8月21日まで奈良に滞在していたのである。このことを書いているのは、俺が見た中では桐野作人氏の『だれが信長を殺したのか』と高柳光寿氏の『明智光秀』だけである。「御ツマキ」の問題について知っている人でも原文を見てない人はこのことを知らない人が多数いるであろう。なお桐野氏の説明には問題があるがそれは後で。


英俊がこの情報を知っているのは光秀本人か光秀の従者に聞いたのだろうと予測できる。ただし可能性を広く取るなら直接聞いたのではなく間接的に聞いた可能性もある。さらには別ルートで知った可能性も無くはない。


さて、ここで考えなければならないのは、光秀はいつ御ツマキの死を知ったのか?ということだ。それを論じたものを俺は目にしたことがない。


これを考えるには『多聞院日記』のさらに関連記事を提示する必要がある。直接関係があるのは

七日、近日惟任爰元ヘ來トテさわき也、目煩間灸冶沙汰之、

九日、灸冶又沙汰之、雨少下、

という記事。すなわち光秀は目の患いを灸で治療するために奈良興福寺に来るとの沙汰が8月7日にあり、さらに9日にも沙汰があったということ。俺は地理に疎いから自信のあることは言えないんだけれども、近江坂本(だろうと思う)から奈良興福寺に連絡が届いたということは前日か前々日くらいに使いが出たのだと思われ。安土からでも同じくらい、京都にいたのなら当日か前日ではないかと思う。光秀がいつ奈良に着いたのかはわからないけれど、2度目の沙汰は間もなく来るということだろうから、10日か11日には着いたのではないだろうか?確実にわかるのは19日に郡山の城普請を見に行ったこと。


で、「御ツマキ」は7・8日に死んだとある。光秀が知ったのはいつか?

(1)奈良に来る前
(2)奈良滞在中
(3)奈良出発直前


(1)「奈良に来る前」の場合、光秀は妹の死を知りながら、目の治療を優先して奈良まで来たことになる。普通の感覚だと目の患いが生死に関わるわけでもなく延期すれば良かろうと思う。前々から予定されてたのなら興福寺が「騒ぎ」になることはない(と思うが可能性は留保しておく)。信長家臣として奉公のためには近親者の死よりも治療を優先させたのだという可能性も一応あるけど。


(2)「奈良滞在中」の場合、やはり光秀は妹の死を知りながら、奈良での予定を切り上げることをせずに21日まで滞在したことになる。「御ツマキ」が光秀と信長を繋ぐ重要な存在だというのなら不自然ではないだろうか?信長家臣として奉公のために(以下略)


(3)「奈良出発直前」。英俊は21日の日記に書いているので、その直前に知らせが入った可能性は十分ある。光秀が21日に奈良を発ったのは予定通りだった可能性もあるが、知らせを前日、または当日夜明け前に聞いたからかもしれない。「今曉惟任被歸了」とあるから夜明けを待って慌ただしく出発したとも考えられる。これが最も可能性が高いように思われる。ただし非常に大きな問題がある。光秀妹は7・8日に死んでいるのになぜこれほど知らせが遅れたのか?


以上のように、光秀が妹の死をいつ知ったのか?という問題は、どの可能性を取っても大いなる問題点があるのだ。その理由をどう推察するかは、「御ツマキ」はどのような女性だったのかという問題に大きな影響を与えるだろう。違いますかね?


しかし、そういった考察がなされているのを俺は見たことがない。


※ なお上に触れたけど桐野氏の『だれが信長を殺したのか』は

同年八月、折から光秀は大和を訪れ、筒井順慶大和郡山城普請の様子を視察していた。そのとき光秀周辺から聞きつけたのであろうか、興福寺の子院、多聞院の学侶英俊が書いた『多聞院』八月二十一日条に(以下略)

と書く。光秀が郡山城普請を視察したのは事実だが、これでは光秀が奈良にいた目的はまるでそれであったかのように読める。桐野氏がどういうつもりでこう書いたのかは知る由もない。桐野氏は光秀眼病治療のことを知らなかったのか?知っていたけれど書かなかったのか?後者の場合その意図するところは?光秀は公務で来ていたから妹の死を知っていたけど、そのまま奈良にいたという考えを示唆しているんだろうか?そこまで深読みする必要は無くて文脈から見れば、郡山城視察の際に英俊が聞いたという根拠は薄弱なので、単にその記事だけを見て眼病治療のところを見落としていた感じだけど。


(つづく)