『陰謀の日本中世史』について(その5)「愛宕百韻」について(2)

もう一度大村由己の『惟任退治記』(天正10(1582)年)

扨五月廿八日、登愛宕山、催一坐之連歌、光秀発句云、
 ときは今あめかしたしる五月かな
今思惟之、則誠謀反之先兆也、何人兼悟之哉

ここには「雨が下しる」とは「天下を統治する」という意味だという説明はない。それで当時の人々は理解できるのだろうか?


そもそも『惟任退治記』には「今思惟之、則誠謀反之先兆也」とある。今から思えばこれは謀反の「先兆」であったという意味だろう。「先兆」とは

まえぶれ。前兆。
先兆(せんちょう)とは - コトバンク大辞林 第三版の解説

「まえぶれ」とは

1 前もって知らせること。事前に通告すること。さきぶれ。「前触れしてから訪ねる」
2 何か事が起こるのを予想させるような出来事。前兆。「大噴火の前触れ」
前触れ(マエブレ)とは - コトバンクデジタル大辞泉の解説

「前兆」とは

何かが起こる前に現れるしるし。まえぶれ。きざし。「噴火の前兆」「不吉な前兆」
前兆(ぜんちょう)とは - コトバンクデジタル大辞泉の解説

このうち、明智光秀が謀反の意志を持ってこの歌を詠んだと確実に解釈できるのは、「前触れ」の「前もって知らせること。事前に通告すること。さきぶれ。」のみであろう。それ以外は「凶星があらわれた」といった非科学的な意味での「先兆」も含まれるだろう。よって、そもそも『惟任退治記』においては愛宕百韻で光秀が謀反の意志を表明したとしているのかさえ定かではない


もしこれを光秀の謀反の意志が表明されていると解釈したとしても、続けて「何人兼悟之哉」とある。これはちょっと難しいけど「誰が事前にそれを察知できただろうか」という意味ではなかろうか?だとすれば「本能寺の変が起きる前にこの歌を知っていたとしても、光秀が謀反の意志を持っていたことはわからなかっただろう」ということになるのではないか?


もちろん事後になら、これが「先兆」だということがわかったということであれば、愛宕百韻に謀反の意志が含まれているということになるかもしれない。ただし連歌には出陣連歌と呼ばれるものがあり、この愛宕百韻も出陣連歌だと考えられる。もちろんこれは信長によって西国への出陣を命じられたからだと解釈できるけれども、実は信長を討つための出陣連歌だったと解釈することは可能だ。ここで重要なのは史実はどうだったかではなくて、どう受け止められたかであり、信長を討つための出陣連歌だと受け取られた可能性は十分にある。すなわち歌の意味など関係なく連歌会自体が「先兆」ということだってありえる。そして、歌に意味があったとしても、謀反の意志の存在は「天が下しる」が「天下を統治する」という意味だと解釈しなければ不可能というものではない。「時は今」だけで十分可能なものだ。「時は今」を「今こそ信長を倒す時だ」という意味で解釈すればそれで充分ではないか。


ただし、既に書いたように非科学的な「凶兆」というだけかもしれない。すなわち、光秀が「時は今」と詠んだのは謀反の意志表明ではなく、超自然的な力により「先兆」として光秀にそれを言わしめたという解釈だって成り立つのではないか。


『惟任退治記』が「雨が下しる」が重大な意味を持っていると主張しているようには見えない。また解説しなくても受け取り側が「雨が下しる」に含まれる(含まれているとしたならばだが)意味を理解できたとは到底思えない


よって「大村が光秀の野心の表れとして」改竄したという「陰謀論」が成り立つ可能性は非常に低いというのが俺の結論。


この件についてはもっと言いたいことがあるけど、それはまた別の機会に。


(つづく)