徳川家康正妻はなぜ「築山殿」と呼ばれるのか?

徳川家康正妻に関する同時代史料は極めて少ない。我々は彼女のことを「築山殿」と呼んでいるけれども、彼女の生前にそう記録された史料は無いのではないかと思われる。また家康在世中にも無かったのではないかと思われる。そのことはもちろん彼女が築山殿と呼ばれていなかったということを必ずしも意味せず記録に残っていないだけかもしれないが、呼ばれていなかった可能性もまた無いとは言えないのではないか?


なぜ築山殿と呼ばれるのかについては、「築山」という地名に由来すると考えるのが自然だろう。よく言われるのが岡崎城内築山曲輪に居館があったという説。


最近は岡崎の惣持尼寺説が増えている。この惣持尼寺説は『駿河の今川氏 第8集』(今川氏研究会編・静大小和田研究室 1985)所収の「築山殿非難」(関口永)という論文が発祥と思われる。ウィキペディア

築山殿は、石川数正駿河に来て今川氏真を説得し、鵜殿氏長・鵜殿氏次と築山殿母子との人質交換をすることで、駿府の今川館から子供たちと共に家康の根拠地である岡崎に移った[7]。しかし、築山殿を嫌う家康の生母・於大の方岡崎城に入ることを許さず、岡崎城の外れにある菅生川のほとりの惣持尼寺で、幽閉同然の生活を強いられたという。
築山殿 - Wikipedia

という記述もこれが元になっていると思われる。


水月さんが調べたところによれば


ということで、惣持尼寺説の元となったのは『参河志』という史料のようだ。


ところが、その『参河志』に何と書いてあるかというと、

其後永禄一二年遠州浜松の城を改築き大神君は浜松へ御移在て岡崎をば三郎信勝君に譲り玉ふ此時駿河御前は築山と云所に別に御居所を営み住み玉ふ故に築山殿とは申けり其地は惣持尼寺の西隣り今は城内と成て連尺口の入口殿町の左に中の馬場東の濠に昔は此邉皆築山と称せしなり田中兵部少輔の時廓内となる

とある。したがって『参河志』によれば、彼女が「築山」に居住したのは人質交換で岡崎に移った時ではなく、家康が浜松に移った時のこととなる。さらにその場所は「惣持尼寺の西隣」であって惣持尼寺ではない。なお見ての通り信康のことを「信勝」と書いているのは前に「信康」とあるので誤記だと思われるが、信康は永禄2年3月に通説と違って岡崎で生れたと書いてあり、永禄2年といえば桶狭間合戦の前であり『参河志』の著者渡辺政香歴史認識がどうなっているのかは『参河志』全部を読めば推察できるかもしれないが未読。


そんなわけで、『参河志』によっても築山殿が惣持尼寺に幽閉されていたという話は導き出せない。ただし、岡崎に「築山」という地名があったとするならば、それが築山殿という呼称の由来になっている可能性は無いとはいえない。俺は岡崎の歴史地理に不案内なので、そこはこれからの課題。


なお岡崎に「築山」という地名があったかは不明だが、「築山稲荷」という稲荷があったことは事実であり、今も岡崎にある。
岡崎いいとこ風景ブログ:総持尼寺岡崎いいとこ風景ブログ:総持尼寺


現在の惣持尼寺は昭和2年に移転したもの。現在地は岡崎市中町字小猿塚だが元は市役所の辺りにあった。築山稲荷が移転されてないとすれば、築山稲荷のある場所に惣持尼寺が移転したことになる。


なお築山殿の首塚がある祐傳寺は岡崎市役所(元総持尼寺)東方すぐの所にある。この関係は非常に興味深い。
岡崎いいとこ風景ブログ:祐傳寺
※ 八柱神社にも首塚があり祐傳寺から移されたともいう。八柱神社は祐傳寺の真東の方角にある。惣持尼寺(市役所)・祐傳寺・八柱神社はほぼ直線上にあるようにも思われる(ただし八柱神社は昭和に現在地に移転したらしいが)。



まだまだ続けたいがとりあえずおしまい。


(追記 9:48)
築山稲荷も移転したっぽい。元の場所がどこなのか気になる。


(追記 9:55)

籠田総門は江戸時代に岡崎城総曲輪の東側出入口に設けられた総門である。水野忠善が岡崎城の城主だった1654年(承応3年)に岡崎城の西側の松葉総門とともに建てられた。籠田町にあったので「籠田総門」と呼ばれた。総門には番所も併置され、東海道(「岡崎城下二十七曲り」)を東からやってきて籠田総門を通行しようとする者はここで改めを受けた。1658年(万治元年)の大火や1670年(寛文10年)の大火では焼失しているが、大火後には新たに建て直された。また南側の総持尼寺の稲荷山を切り取って枡形を設置した。
総門通り - Wikipedia

築山稲荷があった籠田町は岡崎市役所(惣持尼寺)の西にあるから、このあたりが「築山」(『参河志』が正しければ)の地であったのだろう。


ついでに『三河東泉記』という史料に「家康様御前月山様ハ菅生ノツキ山二御屋敷有リ、」と書かれていることを確認。なお同史料によれば信康も城外に屋敷があったという。