立憲主義と安倍晋三と宮台真司

意外な犯人に苦笑…「立憲主義は、民主主義や社会主義を進めるのに邪魔だ、と思われ目立たなかった」(樋口陽一氏) - 見えない道場本舗

これは実に興味深い。

そして、これともつながってくるような気がするな。

つまり「国民が主権者」だと、憲法が命じる対象に国民が入るのではないか?というパラドックス

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20051106/p3

国民の義務規定、愛国心養成などのレトリックが無くなったことを「憲法は、国民に守らせるものではなく、政府を規制するものだから、もともとそういう規定は不必要」という論があって、実はこれは小室直樹も以前から何度も強調し、その学派を継ぐ一派(宮台真司橋爪大三郎)や宮崎哲弥も話している。

というか、小生もそうであろうと考えていて何の異論もなかった。

ところが有名法哲学ブログ「おおやにき」にて

(以下略)リンク先を是非読んで欲しい。



さて、2年前のことだが俺は
嗚呼宮台真司(その4)
という記事を書いた。


発端は2013年参院選の9党党首討論会(2013年7月3日)での安倍晋三首相の発言。朝日新聞によれば

安倍氏 立憲主義には確かに、憲法は権力を縛るという側面がある。しかし、権力をすべて縛るものであるという考え方は王権の時代、専制主義的な政府に対する憲法という考え方だ。いまは民主主義の国家だ。民主主義国家である以上、権力を縛るものであると同時に、国の姿について書き込んでいるものだと私たちは考えている。(自民党案は)国民主権基本的人権、平和主義は現行憲法昭和憲法とかわっていない。(自民党案では)いくらでも基本的人権を制限できる、というのは明らかに間違った読み方だ。

というものであった。これに対し宮台真司氏は

安倍首相の回答が意味不明なのは、近代憲法とは違う憲法の話をしているためだ。

と、要するに安倍は無知でバカだと批判している。


しかし俺は宮台氏が「意味不明」だというのは、宮台氏の方がリテラシー能力を欠いているのであり、ここで安倍氏が主張しているのは「権力をすべて縛るものであるという考え方」は主権者が王だった時代のことであり、現在の民主主義国家において主権は国民にあり王権の時代と同じに考えるべきではないということを言っているのだと考えている。王は「お上(かみ)」ともいうべき外部にある存在だけれども、現在の権力の源泉は国民にあるのだ(そうはいっても権力は権力だとは言えるんだけれども)。


で、こんなこと(俺から見れば初歩的なこと)を何で宮台氏が理解できないんだろうかと思っていたわけだが、gryphonさんの記事を見ると、たまたまこの件でそういう理解ができなかったというわけではなくて、筋金入りで宮台氏の信じる「真理」があって、それから外れた主張があれば、相手がバカだからわけのわからないおかしなことを言っているんだという理解しかできず、理解しようとする努力もせず、そうであるがゆえにそれは「自分と異なる考え」ではなくて「バカの妄言」にすぎず、批判することができず、相手を見下すことしかできないのであろう。

 一方において、彼らは反対論を認めることができない。絶対真理に対する反対だからである。他方、彼らは反対論と戦うこともできない。間違いは情報不足の結果にすぎないからである。彼らにとって絶対真理に対する反対は何かの間違いにすぎない。(P.F.ドラッカー