世界遺産について

そもそも世界遺産とは何かというとウィキペディアによれば

世界遺産(せかいいさん)は、1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リストに登録された、遺跡、景観、自然など、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件のことで、移動が不可能な不動産やそれに準ずるものが対象となっている。

世界遺産 - Wikipedia
とあり、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件なのである。


で、ピラミッドとかパルテノン神殿などは、まさに「人類が共有すべき」遺産であろう。そして「人類が共有すべき」なんだから、たとえエジプトやギリシャが登録無用だと拒否したとしても世界遺産に登録すべきものであろう。そして世界遺産の所在する国は「国民のため」ではなくて「人類のため」に登録を受け入れるべきものであろう。


日本の文化財保護法による文化財も、「国民の文化的向上を目的とする」ものであって、文化財保有する者のためにあるのではない。文化財に指定されると家屋などは修理するのに面倒な手続きが必要で嫌がる人もいるということを聞くけれど、文化財は個人のためではなく国民のためのものだから受け入れてもらうよう指定する側がお願いするものなのである。


それが世界遺産に指定されると観光客が増えるということで、指定される側の方が指定する側にお願いするような形になっているのは、なんだかなあと思わずにはいられない。そんなことをやってるとFIFAみたいになっちゃわないかと不安(既になってたりして…)。



ところで、これと類似したものとして、日本の国連常任理事国入りというのがある。確かに日本は常任理事国入りを希望してはいるけれど、なんか「日本が入りたいというのなら、入れることを検討してやらないこともないけれど、認められたいなら日本は認められる努力しろよ」といった、日本が一方的に加入を希望していて、仕方ないから話を聞いてやるかみたいな話になっているのはどうにもおかしなことで、本来これは国連改革の一環として出てきたものであって、日本やドイツ、あるいはブラジルやインドなどの大国が常任理事国で無いのはおかしいだろうと、まあその裏側にはロシアや中国(さらにフランス)の発言力を抑えようという米国の思惑もあるんだけれど、とにかく日本が頭を下げてお願いしているという「物語」ができてしまうことは日本にとって好ましいことではなかろう。


さらにいえば日米安保条約で「日本は米国に守ってもらっている」というのも、それは確かにそういうことは言えるのかもしれないけれども、日本に米軍の基地があるのは、米国がボランティアでやっているのではなくて、当然米国の国益があるからであって、それは冷戦時代の対ソ連、あるいは朝鮮半島有事、あるいはベトナム戦争、あるいは最近では対中国の拠点となっているのであり、そして何といっても日本は第二次世界大戦における米国の敵であったわけで日本に対する牽制の役割がある。まあこんなことはみんなわかっていることだと思うけれど、それにしては「日本は米国に守ってもらっている」と安直に言う人が少なからずいるように思われ、それは日本の国益にとってどうなのと思わずにはいられない。


一方ギリシャは多額の借金をしているにもかかわらず、貸した方にも責任があると言い放つのであった。