浦島太郎は老人になったのか?

昨日
浦島太郎とウラシマ効果(浦島太郎はどうして老人になったのか?)
という記事を書いたけれど、


そもそも浦島太郎は老人になったのだろうか?


この問題は以外と難しい。そもそも老人とは何ぞや?

年をとった人。年寄り。老人福祉法では、老人の定義はないが、具体的な施策対象は65歳以上を原則としている。「―医療」

ろうじん【老人】の意味 - 国語辞書 - goo辞書


こうしてみれば特に難しい話ではない。なぜかといえば地球上に暮らしている人間の場合は1年に1歳年を取るからだ。1年とは何かの定義もはっきりしている。(ネタとしてうるう年の2月29日に生れた人は4年に1回しか誕生日を向えないというのがあるけれど)。


ところが、浦島太郎が龍宮城で過ごした時間は『御伽草子』によれば3年であり、また700年でもある。その国にいるときはその国の法律が適用されるという原則に従えば(そんな法律があったならばだけど)、浦島太郎が龍宮城に「入国」したのは24歳(正確には24〜5歳だが面倒なので以下同様)で「出国」したときは27歳ということになるだろう(ただしこの3年というのは何をもって3年としているのかが実は不明なのだが、とにかく3年と太郎だけでなく亀女房も言ってる以上3年なんだろう)。しかし日本に「再入国」したのだから、日本のルールに従えば724歳ということになる。


しかし、これは「法的な年齢」の話であって肉体的な話ではない。玉手箱を開ける前の浦島太郎の肉体年齢は24歳だった。724歳どころか27歳でもなかったのである。


もう何が何やら…


で「法的」には27歳もしくは724歳の浦島太郎は玉手箱を開けると

二十四五のよはひも忽ち變りはてにける

ということになってしまった。実のところ御伽草子』には老人になったとは書いてないし、老化したとさえ書いてないのである。「変わった」としか書いてないのだ。ただし、

浦島が年を龜が計らひとして、筥の中にたゝみ入れにけり、さてこそ七百年の齡を保ちけれ。明けて見るなとありしを明けにけるこそ由なけれ

とあるから人間は700年も生きていけるわけがないのに「亀のはからい」によって生きていたということから、玉手箱を開けたことによって「亀のはからい」が無効になったのだと推測することにより、また『万葉集』を参考にするならば、老人になったのだろうということになる。


で、ここでちょっと科学的なことを考えれば、もし浦島太郎が肉体的にも724歳になったということはどういうことなのかという問題が出てくる。もし、これが今までの時間を取り戻すように700年分の新陳代謝が一気に訪れたとするならば、人間は果たして724歳という年齢を迎えることができるのか?検索してみたところによれば人間の寿命の限界は約120歳だという。つい最近
120歳まで寿命を延ばすアンチエイジング薬「メトホルミン」、ついにアメリカで臨床テストが始まる:らばQ
というのが話題になったが、この120歳というのはそういうことではないかと思われ。


もちろん『御伽草子』の時代にこんな知識はないに決まっているけれど…


※ 考えてみれば120歳から先には進まないで、そこでただの物質として時間が進んだ可能性はあるか…



しかし、それとは全く違った話の可能性もある。


老人になったのではなくて、老人のようになってしまったという可能性


これは漫画などで良く見かける描写。たとえば、悪魔的なものに精気を吸い取られた人間は、干からびて老人のようになってしまう。あるいは女性に何度もせがまれてという場合にも。


この場合は新陳代謝が何度も繰り返されて老化するわけではない、すなわち時間が急速に進行したという話ではない。


こういった疑問は

浦島が年を龜が計らひとして、筥の中にたゝみ入れにけり

とはどういう意味かということに、つまるところ「年」とは何かということにかかっている。


普通に考えれば「(肉体)年齢」なのかもしれないけれど、「年」を箱に「たたみ入れる」とはどういうことか?人は時間の経過とともに常に老化しているわけだけど換気扇みたいな装置を使ってその都度箱に入れているということだろうか?連続的ではなくて元旦に一つ年を取るとしても3年だから3回その作業をしたのだろうか?でも地球時間では700年だから700回か…


三浦佑之教授は、

実は、これには浦島の魂が封じ込められており、浦島は老いない体になっていたのだ。そこには、乙姫の「浦島に再び会いたい」との思いが込められていたのだという。

そのことを知らない浦島は玉手箱を開けてしまい、鶴に生まれ変わって永遠の命を与えられた。鶴になった浦島は、亀に姿を変えた乙姫と再会し、長く愛しあったそうだ。

「浦島太郎」にカットされた真の結末 永遠の命もつ鶴に生まれ変わる - ライブドアニュース
「年」を「魂」としている


封じ込まれた魂が開放されると、なぜ老人になってしまうのだろうか?しかしよく読めば三浦教授は「老人になった」とは言ってない模様(単に省略しただけかもしれないが)。「鶴に生まれ変わって永遠の命を与えられた」とある。玉手箱を開けたから鶴になったのか?封じ込まれた魂が開放されるとなぜ永遠の命が与えられるのか?それとも鶴になったのは別の原因か?そこのところどう繋がってるのか全く意味不明。



ところで『万葉集』においては

たちまちに 心消失せぬ 若くありし 肌も皺みぬ 黒くありし 髪も白けぬ ゆなゆなは 息さへ絶えて 後つひに 命死にける

浦島太郎 - Wikipedia
心が消え失せ、皮膚がしわしわになり、黒髪が白髪になり、息も絶えて、ついに死んでしまったという。これを老人になったと解釈することは可能だけれど、たとえば黒髪が急に白髪になるというのは、恐怖体験でそうなる表現があるのはよく知られたところであって、これを老人になったと解釈するのは果たして正しいのかはよくよく考えてみなければならないのではなかろうか?



なお『丹後国風土記』ではそもそも老人になっていない。島子の体が空に飛び去ったという解釈があるけれども、それだと他の記述と矛盾してしまう。