浦島太郎が玉手箱を開けて鶴になったという解釈は、かつては全くなかったわけではなかったけれども、近代デジタルライブラリーで見た限りでは極めて少ない。しかし、
さて浦島は鶴になりて、虚空に飛びのぼりける折、此の浦島が年を龜が計らひとして、筥の中にたゝみ入れにけり、さてこそ七百年の齡を保ちけれ。明けて見るなとありしを明けにけるこそ由なけれ。
と「鶴になりて」とある以上、玉手箱を開けた結果ではないにしても鶴になったことは間違いなかろうと思われるのに、『御伽草子』を扱っているのにかかわらず、そのことに全く触れていないものが大半。それはなぜかと考えるに、「虚空に飛びのぼりける折」を採用した場合、解釈するのが困難なことに加えて、『御伽草子』以外の『萬葉集』や『丹後国風土記』においてはそのような記述がないことから「浦島太郎」という物語の研究において特に重視すべきことではないと考えれれいたのではないかと思われ。
さて、今では「折」ではなく「そもそも」を採用するのが主流となり、そうすれば浦島が玉手箱を開けて鶴になったと解釈することに問題はなさそうにも思わえるかもしれないけれども、俺は疑問に思うことが何件かある。
一つは既に触れたけれど「浦島は鶴になり、蓬莱の山にあひをなす」で、この解釈は人によって著しく異なっており何通りもの解釈がある。そのうち、玉手箱を開けた浦島が鶴になって蓬莱山(龍宮城のことか別の山のことかにかかわらず)で亀と暮らしたという解釈は俺には全く納得いかないところであって、浦島は亀姫が開けるなと言ったにもかかわらず玉手箱を開けたことによって亀姫との再会ができなくなってしまったとすべきである。
だとすれば玉手箱を開けて鶴になった浦島が亀姫とは再会できずに蓬莱山で「あひをなす」ことになったのか、または鶴になったのは玉手箱を開けた後のことではなくて、それ以前のこと、おそらくは亀と出逢ってほどなくのことではないかと思うのである。しかし「あひをなす」の意味が不明なので、そこから先には進めそうもない。
もう一つはもっと素朴な疑問で、
さて浦島太郎は一本の松の木陰にたちより、呆れはててぞゐたりける。太郎思ふやう、龜が與へしかたみの筥、あひ構へてあけさせ給ふなと言ひけれども、今は何かせむ、あけて見ばやと思ひ、見るこそ悔しかりけれ。此の筥をあけて見れば、中より紫の雲三筋のぼりけり。これをみれば二十四五のよはひも忽ち變りはてにける。
さて浦島は鶴になりて、虚空に飛びのぼりける折、此の浦島が年を龜が計らひとして、筥の中にたゝみ入れにけり、さてこそ七百年の齡を保ちけれ。明けて見るなとありしを明けにけるこそ由なけれ。
とあるんだけれど、浦島が鶴になり、俺の考えるように亀姫との再会ができなくなったという意味ではなくて、逆に鶴になったことにより亀姫と再会したというのであれば、「明けて見るなとありしを明けにけるこそ由なけれ」と書かれているのは不自然だということ。そして「明けて見るなとありしを明けにけるこそ由なけれ」ということを書くべきは「二十四五のよはひも忽ち變りはてにける」に続けて書くはずだと思うのである。
鶴になったことがめでたいことならば、そうするのが自然でしょう。
そして、そもそも鶴になるということは、どういうケースであってもめでたいことだと思われる。人間ではなくなるから不幸だと、そりゃまあ俺だったら鶴にしてあげると言われても丁重にお断りするけれども、しかしこの物語においてはめでたいことなのではないかと思うのである。
だとするならば、「明けて見るなとありしを明けにけるこそ由なけれ」とは、浦島太郎が鶴になったのは、玉手箱を開けるなと言われたのに守らなかったから鶴になったのだという意味ではないと考えられるのである。
すると、「さて浦島は鶴になりて、虚空に飛びのぼりける。そもそも此の浦島が年を龜が計らひとして」と読むのではなくて「さて浦島は鶴になりて、虚空に飛びのぼりける折、此の浦島が年を龜が計らひとして」と読むのがやはり正しいのではないか?
と思わずにはいられないのだ。