「アイヌ伝説が実は創作だった」件について(その4)

青木純二とは何者か?
「大正期におけるアイヌ民話集」阿部敏夫(PDF)

青木純二の関して『新聞人名辞典』で調べてみると、大正十三年と大正十四年と昭和二年の三回ほど青木純二というのが出ています。そして青木純二の本名は中尾兵志っていうんです。当時、東京朝日新聞高田支局で、以前には函館新聞に勤めています。そこでアイヌ文化と知り合ったとこう書いています。私が面白いと思ったのは、この『新聞人名辞典』に青木純二は「皇室中心主義」と出ているんです。(中略)そういうことからも見て、青木純二の思いがわかります。

※ まず言いたいんだけど、正直、俺は阿部敏夫教授のイデオロギー臭のする発言には同意できない。この人がどういう人なのか良くわからないけれど、虐げられてきたアイヌという思いが強すぎるのではないか?アイヌが虐げれてきたのが事実だとしても、研究において思い入れが強すぎると実態が見えなくなるのではないか?既に書いたように青木純二には「白馬岳の雪女」の例がある。つまりアイヌに限ったことではない。そもそも本来地元の伝説でなかったものが様々な理由で土着して、古来言い伝えられてきた伝説だと土地の人も信じ、また観光資源に利用されるということは珍しいことではない。


さて、青木純二の本名は中尾兵志だそうだ。ただし『アイヌの伝説と其情話』(大正13)の「はしがき」には

私が牛尾を姓し新聞記者として北海道各地を流転中に得た大きな仕事はこのアイヌ研究であつた、

とある。ということは「牛尾」と称してたこともあったと考えられる(ただし「中尾」の誤植かもしれない)。とにかく、この『アイヌの伝説と其情話』が出版された時点では東京朝日新聞の記者であったらしい。そこで思うのは大正11年朝日新聞社から発行された公募小説集『山の伝説と情話』。この選考にも青木純二は関わっていたのかもしれない。一方、大正12年の小樽新聞社「本道の民話」には関わっていなかったと考えるのが自然(確実とはいえないが)。


ところで、青木純二は『アイヌの伝説と其情話』にマリモ伝説(実は小説)「悲しき葦笛」を掲載したことは、責められるべきことなのか?「はしがき」に

だが、お断りせねばならぬことは、口碑といひ、伝説といひ、あるひは記憶の謬錯があり伝聞の訛誤があり、あるひは移動転訛せるものも少なくない。著者は歴史家ではなく、民族研究者でもないのでこれらの考証は他日に期して、こヽでは、数年間苦心して蒐集した口碑伝説を列記するにとどめる。

とあるように、青木純二は歴史家でも民族研究者でもないのだ。それにしても「小説」は無いだろうという意見ももっともだが、もしかしたら青木は

釧路に住んでいた時に親しくなったアイヌ民族から聞いた話を基に「所も、話の筋も変えて作文をした」

ということを知っていたのかもしれない。とすれば小説とはいえ、アイヌの民話の残滓があるといえるわけで、出典も明記してあることから、研究者が研究に使用するための手がかりは提供しているというつもりだったのかもしれない。


一方、『山の伝説』所収の「白馬岳の雪女」はどうか?
「雪女」の”伝承”をめぐって : 口碑と文学作品(牧野陽子)
によれば、遠田勝(神戸大学教授)は

一人のジャーナリストの剽窃、捏造といってもいいような詐欺的行為だった

等の激しい非難をしているようだ。しかしながら、これが青木の捏造だという証拠はあるのだろうか?実際に現地で取材してこの話を聞いた可能性もあるではないか?この点について考えてみたい。


『山の伝説』が出版されたのは1930年。ハーンの『怪談』の26年後である。よってハーンの「雪女」が民話として土着する時間は十分にあった。ただし、もし民話として土着してたのなら、その話はその後も言い伝えられている可能性が高い。しかしこの話はあまり知られていないということから考えて土着化していなかったのかもしれない。松谷みよ子の「雪女」が「白馬岳の雪女」からの継承だとも言い切れないだろう。


では、やはり青木の捏造なのかといえば、そうとは限らない。民話採集によくあることとして、話し手が聞き手を失望させないためにリップサービスで話を盛ることは良くあることだと聞いている。すなわち青木に話を伝えた話者が土地の伝説ではない話を伝えた可能性がある。それにしても記憶に頼っていてはそこまでハーンの「雪女」と類似することはないとは思われるが、手紙のやり取りだったとすればありうるのではないだろうか?


その点んに関して、実は『山の伝説』の最初に「山と伝説」という柳田国男の文があるのだが、

たとへば山の人の一様に寡黙で、話術の劣勢を自識して居ることも、問へば答へるといふ程度に山の話を簡明にして居る。土地を著名にし掛茶屋を繁昌せしめようふといふ計量が、底に潜んで居なかつたのは勿論、単に聴く人の眼の色を読んで、もつと面白がらせようといふ当座の野心すらも、此方には常に欠けていたのである。正直な記録ならば此特徴は、恐らく読む人の胸にも到達せずには居なかつたらうと思ふ。

と書いているけれども、また

同じ山中の住民といふ中にも、下に降ることを職業とする者と、嶺に往来して生計の道を立てヽ居る者とには、近代は一層二色の趣味が対立しようとする姿が見える。誰から聴いても山の話は一つといふことが、今は殆ど成立たなくなつて居るのである。それだから山と漁村に於ては、どんな人が話したかゞ一段と重要になり、又如何なる時と場合に、其話が持出されたかも、同じく附記して置く必要を生ずるのである。

それには又この著者の採集法に対して、或は稍厳峻に過ぎたる批判を下す必要もあるかと思ふ。

故にさふいうい資料として精確なものを供給することが、もし採集の目的であつたならば、それこそ多々益々弁ずである。青木君の「山の伝説」が大いに人に読まれ、此上にも更に数篇を重ね行かんことは、自分はたゞ此條件の下の歓迎するのである。

と、かなり辛辣なことを書いているのである。つまり、青木純二のこの民話集は当時から、採集方法として学術的な基準を満たしてないということが指摘されてたのだ。ただし柳田国男は全く使い物にならないとしているわけではないようだが。これが「剽窃、捏造といってもいいような詐欺的行為」かといえば、そうではない可能性の方が高いと思うけれども、研究に使うには大いに問題がある代物だとは言えるだろう。


ところで、民話採集において、採択するかしないかの境界はどのあたりにあるのだろうか?小説はだめなのか?明らかにその土地のものでないものは排除すべきなのか?俺は専門家ではないのでわからない。たとえば牧野陽子氏の論文にもでてくる「怪異・妖怪伝承データベース」には、映画や小説・漫画などが元ネタだと考えられる事例があるという話を前に見たことがある。そういうのは排除すべきか?それとも、そうであっても採用すべきか?というのは結構むずかしい問題だと思う。