論理

「日本は天皇中心の国」ではありません(大西 宏のマーケティング・エッセンス)
http://ohnishi.livedoor.biz/archives/50109727.html

 もちろんいろいろな意見をもつことは自由ですし、「中心」という言葉を柔軟に解釈することも可能ですが、自民党の幹事長がそう発言したらアホかということになります。

 と大西氏は主張します。俺は「自民党の幹事長」としての発言として適切かどうかに関心がありませんので、この主張に賛成でも反対でもないのですけど、「いろいろな意見をもつことは自由」ということには同意します。

 憲法で規定されていること、例えば「税金など払わなくてもよい」なんていうことであっても、思うだけならもちろん自由ですけど、そういう意味ではなく、この場合の同意の理由は、「日本は天皇中心の国」などということは、憲法に「日本は天皇中心の国」とか、「日本は天皇中心の国ではない」とか規定されていることではないのだから、そう思うのなら勝手に思えばよかろうという意味での同意です。
 (憲法を隅から隅まで読んでも「中心」という語句は一言も出てきませんから、そもそも憲法では「中心」という概念が存在しないように思われます。)


 ところが、そういう意味で考えると、

 もちろん日本は主権在民で、国民が中心の国で、天皇は「象徴」です。

 と断定的に主張されるのには、違和感を持ってしまうのです。
 「日本は主権在民」『天皇は「象徴」』なのは問題ありません。ちゃんと憲法にそう書いてあります。ところが「国民が中心の国」とは憲法には書いてありません。法律に疎いのですけれど、何かの法律にそういう記述があるのでしょうか?寡聞にして知りません。あったとしても、あまり知られていないと思われます。

 別に「国民が中心の国」であるという主張に、ことさら異議を唱えようとは思いませんが、それは大西氏の「意見」であると思われます。もちろんいろいろな意見をもつことは自由です。

 ところが、大西氏は「国民が中心の国」というのは「意見」ではなく「事実」であり、そうであっても、それに反する意見をもつのは自由であると主張しているかのように見えます。上で例示した「税金など払わなくてもよいと思うのは自由」という意味での「自由」であるように見受けられます。

 果たしてそれが妥当な論理であるかというと、甚だ疑問に思うのであります。