異端の人

発信箱:どのツラ下げて… 山田孝男(編集局)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060130k0000m070110000c.html

いまや政治に対する観察者、批判者であるという以上に、政治権力を生み出す装置となった感のあるメディア。その無節操な暴走癖、過剰な存在感・圧迫感と加害性を省みず、「悪いのはオレではない」と逃げ腰の醜さが読者の失望を誘っているようだ。

 朝日新聞ほどではないが「左寄り」とされている毎日新聞のコラム。それにしては「正論」であると意外感もあってか評判が良いようだ。
 たしかに「正論」だと思う。ただしこれは毎日新聞が転向したというわけではない。
 山田孝男氏の名前は去年のNHK従軍慰安婦番組についてのコラムで知って、それから注目していたのだけど、朝日・毎日でよく見かける論説とは一線を画したコラムを多数書いている人である。で、そのたびに「毎日新聞にしてはまとも」等の評価がされてきたのである。
(『第2次「慰安婦」論争として』で検索すれば多くのブログがヒットする。)


 ただし、いつも評価が高かったわけではない。「保守的」な人の反感を買うようなコラムもまた多数書いている。世間一般で認識されている政治的な「右・左」という区分けでは分けるのが難しい人である。
 俺はこの人が好きである。といっても主張に全面的に同意するものではない。むしろ同意できないことの方が多いかもしれない。
 ではなぜ好きなのかといえば、「自分の言葉」で語っているところが好きなのである。
何か大きな事件があるとマスコミにはたくさんの評論が登場するが、それらの大半は似たりよったりである。朝日ならこう書くだろう、産経ならこう書くだろうと、読む前からあらかじめ想像がついてしまうのである。朝日といえどもいろんな人がいるのだから、同じ「左」であっても様々な意見があるだろうと思っても、実際は誰が書いても同じような意見。さらに「有識者」の意見も、その新聞社の期待に沿うような意見ばっかりである。それは、あの人ならこういう意見を言ってくれるであろうと、最初からわかってて取材を申し込むというのもあるだろうけど、「有識者」の方でも期待される役割を演じているというのもあるだろう。本人は「自分の意見」を言っているつもりかもしれないが、外部から見れば、どれもこれも同じ「定型的」な主張ばかりである。朝日新聞的社説(自動生成)という痛烈な皮肉があるけど、決まりごとを守っていれば誰でもそれなりのものが書けてしまうのである。
 山田孝男氏の主張は、毎日新聞ならこう書くであろうという期待を裏切ってくれるところが好きなのである。これは日本のメディアでは簡単なようで簡単なことではなく、強固な自分というものを持っていなければできないことであろう。