昨日の件だけど俺は別に朝日新聞を擁護しているわけじゃない。結局のところ朝日はやらかしてしまったのだ。何でやらかしてしまったのかは朝日内部のことだから知りようもないが、推測は出来る。
朝日は朝日で「冷静に」という声が受け入れられなかったのだろう。「冷静に」というのは麻生氏のためではない。朝日の信用を落とさないためだ。「身内」のためだ。
でも、だめだった。どんな理屈が「冷静に」という声を打ち消したのかもおおよそ想像できる。「麻生が絶対にナチスを褒めていないとは限らないではないか」とか「新聞社の使命は云々」とか。そんな感じの「正論」でもって「冷静」を打ち破り、それならそれで書きようはあるはずなのに、決め付けてはいないがほぼ決め付けている論調の社説やコラムを書いたのだろう。
朝日はイラク人質事件のときも当初は冷静な論調だった。しかし結局は「騒々しい」論調になってしまった。そういうケースは他にもたくさんあると思われる。
「冷静」は常に騒ぎたいという要求に脅かされている。事実、騒いだほうが効果があるように見えるのだ。しかし、ふと気付くと、お祭り騒ぎに参加しているのは、いつもの見慣れた連中だけで、他の人々は遠くに離れてしまっているということはよくあることだ。