トンデモ「研究」

書こうか書くまいか迷ったんだけど…


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トンデモ「研究」の見分け方・古代研究編
http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/chubun/ohno/tondemo.htm
言いたいことの大枠は同意できる。
それにもかかわらず、何か納得いかない。
ド素人なんで、明確にここがおかしいと断言はできない。ド素人が下手なことを書いたら、まさに、そこに書いてあるトンデモさんになってしまう。でも気になる。


気になること。
(その1)
「■はしがき」より
http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/chubun/ohno/tondemo.htm

 こうしたトンデモ「研究家」は昔からいましたが、以前はアカデミズムの外にいる人が自分のトンデモ「研究」を発表する手段はご く限られていました。学会誌や学術雑誌ではもちろん掲載を拒否されますし、まっとうな出版社もあまりにもとんでもない内容の本を出版しようとはしませんか ら、(最近はそうでもなくなったようです……こちらやこちらを参照)、せいぜい自費出版か、良くてまっとうな学者は相手にしない二流三流の出版社から出版するのが関の山で、多くの人の目に触れる機会はあまりありませんでした。ですからプロの学者も、トンデモ「研究」に対してはいちいち相手にせず無視していればよかったのです。
 ところがインターネットの普及は、こうした状況を一変させてしまいました。ウェブサイト開設に審査はありませんから、どんなに とんでもない内容の「研究」でも、ウェブサイトを使えば全世界に向けて手軽に発表することができます。しかも検索サイトの充実により、こうしたトンデモサ イトも容易に人々の目に触れるようになってきました。そしてレポート作成などのために参考となるサイトを探している学生などが、トンデモサイトに引っか かってコロリと騙されてしまう例も少なからずあるようです。

ネット普及以前にトンデモ本が、「多くの人の目に触れる機会」があまりなかったなんて本当だろうか?
さらに、その「トンデモ本」は、他の本に紹介されたり、新聞・雑誌やテレビで紹介され、あるいは漫画や小説のネタにされ、原本を知らなくても、多くの人の目に触れられていたのではなかろうか?
ネットの普及が、「こうした状況を一変させてしまいました。」というのは本当だろうか?今でも最も影響力のあるのは、テレビや雑誌や著名人の発言なのではなかろうか?俺の実感とはかなり異なるんだけど…


(その2)
「■はしがき」より

 しかも始末の悪いことに、古代中国や古代日本に関するトンデモ「研究」は、多くが何らかのイデオロギーに染まっています。ほとんどは「日本は偉い、中国 憎い」という、国家に対するコンプレックスの解消を目的とするものですが、こうしたイデオロギーは経済の失敗で自信を失い、中国や韓国の台頭におびえてい る日本人の気分にとてもマッチしていますから、人々の支持を集めやすいといえます。現に西尾幹二『国民の歴史』のような本も、歴史の専門家がこぞって無視 している間に(この本のイデオロギーが気に入らないから無視しているのではなく、歴史学の手続きを踏み外しているから無視しているのです。くれぐれもここを間違えないように。)、少なからぬ人々の支持を集め、ナショナリズム高揚に確実に一役買っているのです。

これまた俺の実感とはかなり異なる。
例えばベストセラーになった『人麻呂の暗号』がこれに該当するであろうか?
東日流外三郡誌』は大和朝廷に対抗する東北王朝の話であるが、「日本は偉い」という話だろうか?
サイトでも紹介されている「徐福伝説」(日本人と中国人は同じルーツである)が「中国憎い」なのだろうか?
ちなみに今俺が読んでいる本は谷沢永一著『聖徳太子はいなかった』であるが、これはどこに属すのであろう?(トンデモなのかどうかわからないけれど)
俺の実感では、むしろ、「権力によって抹殺された真実」みたいな「反体制・反大和朝廷」的な説が多いと思うのだが、人によって印象が違うのだろうか?


(その3)
http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/chubun/ohno/mokuji.htm

しかしウェゲナーの大陸移動説のように、一見突飛な考えであっても、ちゃんと科学的根拠に基づいている学説もあります。私が問題にしたいのは「学問的に成り立たない説」なのであって、「突飛な説」を問題にしたいのではありませんから(古代神話研究は一般の人には多かれ少なかれ「突飛」な印象を与えるものですが、それらのすべてが学問的に成り立たないわけではありません)、「トンデモ『研究』」という用語は誤解を招くおそれがあります。

「ウェゲナーの大陸移動説」は「突飛」であると同時に、当時の技術水準では、科学的に証明することが困難であったため。学界に受け入れられなかった説ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%99%B8%E7%A7%BB%E5%8B%95%E8%AA%ACウィキペディア
「科学的根拠に基づいている学説」というのは、(確かに科学的根拠はあったんだけど)ちと微妙な気がする。ここらへん自然科学と人文科学の違いもあって難しそう。
マーティン・ガードナーは『奇妙な論理』で、
「まちがっていることがほとんど確実」なものにきわめて近いため、価値がないことについて疑う理由は全くないような理論
と書いてるけど、これが適切な気がする。


以上、素人のたわごとでした。