チンギス・ハン韓民族説と、義経=ジンギスカン説

ZAKZAK:「チンギス・ハン」はどこの人? 韓中蒙で大論争 オンラインゲームめぐり、三つ巴の“国際問題”に発展

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こういう話題で注目点になりがちなのは、それが「事実」か「事実でないか」ということ。しかし、俺が注目するのは、それが「伝説」か「科学」かということ。そういう視点でみると、この説は、

 韓国では、民族学会代表のポール・キム氏が「モンゴル、靺鞨(まっかつ=ツングースの一族)などは朝鮮族の子孫で、その意味ではチンギス・ハンも韓民族」と主張しており、今回のゲームはその主張に基づいて制作されたとみられる。

ということで、「科学」に分類されるもの。もちろん日本での大方の見方は「科学」は「科学」でも「トンデモ科学」「科学を装ったニセ科学」なのだろう。俺は韓民族の歴史にあまり詳しくないし、俺の関心は事実か事実でないかではないので、とりあえずどうでもいい。


とにかく俺にとって重要な点は、チンギス・ハンが韓民族だという「伝説」を元に主張しているのではなく、「科学」でもって主張されているということ。


さて、わが国には、「義経ジンギスカン説」というものがある。

1823年に来日したオランダ商館医員のドイツ人医学者シーボルトは本格的な日本研究をおこなって『日本』を著した。『日本』では、6年の滞在中の資料収集と聞き書き義経大陸渡航説を展開し、義経は平泉では死なず、蝦夷にわたり、さらに大陸へ渡ったとする伝説が日本にのこっていることをヨーロッパに紹介された。さらに、日本では、神武天皇以来日本諸侯の爵位として「守」(かみ)といい、義経は「かみ」すなわちモンゴル民族の「カーン」になったのではないかと考察した。ただし、カーンについては『元朝秘史』に他部族の長を合罕と称するという記述があり、日本とのかかわりは指摘されていない。

義経=ジンギスカン説 - Wikipedia


これを読むと、まるでシーボルトが「義経ジンギスカン説」の大元であるかのようだが、俺の記憶では、シーボルトの知人の日本人が「義経ジンギスカン説」を信じていたという話だったように思う。すなわち、江戸時代に「義経ジンギスカン説」という「伝説」が存在していたという話であると認識している。と同時にシーボルトが「科学」的な目でそれを評価していたんだと思う。その後、Wikipediaにも書いてあるように、末松謙澄や小谷部全一郎によって「科学」としての「義経ジンギスカン説」が発展していった。


俺は、この「伝説」が「科学」となってしまう問題について、非常に関心がある。「伝説」が「科学」になるというのは、「伝説」を「伝説」として科学的に研究するという意味ではなく、「伝説」を歴史的事実あるいは歴史的事実を含んだものとして捉え、科学的に装飾されるということ。ちょっとややこしいことを言うけれど「伝説」を「伝説」のまま、素朴に本当のことだと信じるのと、「科学」となった「伝説」を事実だと信じるのとでは、かなり意味が違ってくると思う。ところが、俺が見るに、現代の「科学的な人」に関心があるのは「事実」か「事実でないか」であって、そういうことではないらしい。


既に何回も書いたが「桃太郎」の鬼が実は渡来人であるとか言うのも、まさにそういったもの。ところが、天孫降臨神武天皇伝説などを事実ではないと非難したり、見下したりする人達も、こういう説には無関心、あるいは積極的に支持していたりする。それどころか、こういう見方が「伝説」の正しい見方だと思っているのではないかとさえ思われる人もいる。戦前の「伝説」の政治的利用は盛んに批判されている。だが、現代でも続いている、こうした現象にも、もっと問題意識を持たなければならないと思うのだが…