日本原住民論

日本には日本原住民論ってのがあってだな(ry

ところが、この「日本原住民論」は、八切本人の与り知らぬところで、新左翼に利用されることになった。


潜伏中の赤軍派幹部・梅内恒夫は、八切の日本原住民論に触発され、「共産主義者同盟赤軍派より日帝打倒を志すすべての人々に」を発表した。ここに初めて「日帝打倒」の根拠が「明治以降の大日本帝国の悪行」から「日本建国時の原住民迫害」に大きくシフトすることになった。窮民革命論を唱えた太田竜も、八切を「真の人民的歴史家」と絶賛した。


こうして新左翼の活動家は「日本先住民の復権」を掲げる独自の史観を確立していった。その特徴は「大和朝廷に滅ぼされた幻の地方政権」を称揚することで、「天皇制の相対化」を図るというものであった。この史観に触発された加藤三郎やその他ノンセクト・ラジカル活動家による反日テロ事件も発生している。そして「記紀以前の歴史を伝える」とされる古史古伝に関心を持つようになった。


そして、新左翼活動家[2]の中には偽史運動にのめり込み、1980年代のオカルトブームを巻き起こすことに一役買ったものもあった。「東日流外三郡誌」が当時、一世を風靡したのは決して偶然ではない。研究家の原田実によると、オウム真理教もこの風潮で台頭した一種の偽史運動であり、国家転覆をも企てた背景には、これらのイデオロギーが影響しているとしている。

日本原住民論 - Wikipedia