エビスとヒルコと幻の島

「小人が外の世界からやってきて福をもたらしやがてまた去っていく」という伝説はヤマトにおいてもスクナビコナの神話がある。また近世初期には蝦夷の北方または洋上に小人島があるという認識があった。また七福神も外から宝船に乗って福をもたらす神であり、特にエビス神は小人ではないけれど「夷」「蝦夷」と表記されることがある。あと昨日は書かなかったけれど義経島渡伝説で義経は「小人島」などの島々を巡る。


昨日コロポックル伝説のルーツについて調べていて気になったことがある。


それはエビス神とヒルコが習合していること。

記紀神話において、蛭子命は3歳になっても足が立たなかったために流し捨てられたとされる。その神話を受け、流された蛭子命はどこかの地に漂着したという信仰が生まれ、蛭子命が海からやってくる姿が海の神であるえびすの姿と一致したため、2神は同一視されるようになった。このえびすを蛭子命と見る説は、室町時代のころに現われたものであり、えびすを夷三郎と呼ぶのは『日本書紀』において3番目に生まれたことによるとされるが、本来は夷と三郎は別々の神だったのが混同されたものである。

えびす - Wikipedia
このこと自体は前から知っている。そして「蛭子命が海からやってくる姿が海の神であるえびすの姿と一致したため」という説明も、あくまで推測にすぎないとはいえ他に理由も考えられないから異論もなかった。


でも今の俺は、その説明でいいんだろうか?という疑問が沸いている。


いや、正確に言えば「蛭子命が海からやってくる姿が海の神であるえびすの姿と一致したため」ということを否定しようとは思っていない。それはそれでいいんだけれども「それだけだろうか?」と思うのである。


というのも、蝦夷には「小人島」という島があったと考えられていた。これはもちろん「幻の島」である。一方、小人ではないけれど似た性格を保有するエビス神は「夷」「蝦夷」と表記され、その文字には「東方」という意味が含まれる。そして東方には「小人島」があり近世初期には北海道(蝦夷)の北方にあると考えられた。


そこで思うのはエビス神を「夷」「蝦夷」と表記するのは、エビスを東方にいる神というような意味でそう表記したのではなくて、東方そのものを指しているのではないかということ。たとえるなら「アメリカ人」という意味ではなくて「アメリカ」という土地(または国)そのものの意味ではないかということ。


なんでそう思うのかというと、エビス神を「蛭子」とも表記するからである。といってもこれだけでは全く説明になっていない。「蛭子」とは「ヒルコ」のことではないかという話になってしまう。では何でそんなこおを言うのかといえば、俺は


「蛭子」は神の名前ではなくて土地の名前ではないか?

という妄想に取り憑かれてしまったからなのである。まだこれだけでは何を言っているのかさっぱりわからないだろうけれど、つまり俺は蛭ヶ小島という島が気になって仕方がないのだ。

蛭ヶ小島(ひるがこじま)は、静岡県伊豆の国市の地名。源頼朝流刑地として知られる。

しかし、歴史的には「伊豆国に配流」と記録されるのみで、「蛭ヶ島」というのは後世の記述であり、真偽のほどは不明。発掘調査では弥生・古墳時代の遺構・遺物のみで、平安時代末期の遺構は確認されていない。『吾妻鏡』では頼朝の流刑地について「蛭島」とのみ記し、当地が比定地であるかは不明。

蛭ヶ小島 - Wikipedia


蛭ヶ小島」は源頼朝流刑地として有名だけれども、実は本当にそんな島があったのか不明。つまり蛭ヶ小島」は「幻の島」なのだ。個人的にはそんな島は無かったのだと思う。大体、流刑地の名前がヒルコ(流された神)を連想させる名前だなんて話が出来すぎではないか。「蛭ヶ小島」の名はヒルコに由来すると考えられるのではないか?


そしてこれが非常に重要なのだが、義経島渡伝説にも

義経は遂に意を決し、秀衡の許を辞して、四国土佐の港から出帆し、こんろが島・大手島・猫島・犬島・まつ(松)島・うし(牛)人島・おかの島・とと島・かぶと(兜)島・たけ(竹)島・もろが島・ゆみ(弓)島・きかい(鬼界)が島・ひる(蛭)が島等を経た後、高さは十丈許り、腰から上は馬、下は人で、その腰に太鼓を附けた異形の者共の住む馬人島や、男女の隔なく、皆裸体でいる裸島を巡り、女護島では名笛たいとう丸を吹いて危難を免れ、ちいさご島(小人島)一名菩薩島では島人の小躯に驚き、二十五菩薩の影向には随喜し、蝦夷が島の蛮人に害せられようとしては、再びたいとう丸を鳴らして窮地を脱し、終に千島の都に着いて、

義経伝説と文学 本篇 2-4-
源義経が巡行した幻の島の中に小人島と並んで「ひる(蛭)が島」が登場するのである。


このように「小人島」の考察から始まって、エビス神の考察をしているうちにまた「小人島」に戻ってしまう。これは偶然ではないのではないか?なんて思うのだ。というわけで、エビス神が「蛭子」と表記されるのはヒルコそのものではなくて、海に流されたヒルコと何らかの関わりがあるだろう「蛭ヶ小島(または「蛭が島」)という幻の島と関係があるのではないか?少なくともその可能性を考えることには意味があるのではないか?と思わずにはいられなくなってしまったのであった。



※ なお東国の武士を「あずまえびす(東夷)」と呼ぶのはよく知られるところ。頼朝が流されたのが「蛭ヶ小島」なのと「東夷」との関係も何かあるのではないか?