一見もっともらしい話を疑え

トンデモ「研究」の見分け方・古代研究編
という記事がなぜか突然8月30日から人気記事になっている(現在55ブクマ)。
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この記事は2006年にも人気記事となったものだが、こっちのURLは失効している。
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概ね好意的な評価がなされている。



だが俺がタイトルに「一見もっともらしい話を疑え」と書いたのは、トンデモ研究を疑えということではなくて、この記事を疑えということだ。


俺はこの記事は最初から最後までツッコミ所満載だと思っている。


特に

 しかも始末の悪いことに、古代中国や古代日本に関するトンデモ「研究」は、多くが何らかのイデオロギーに染まっています。ほとんどは「日本は偉い、中国憎い」という、国家に対するコンプレックスの解消を目的とするものですが、こうしたイデオロギーは経済の失敗で自信を失い、中国や韓国の台頭におびえている日本人の気分にとてもマッチしていますから、人々の支持を集めやすいといえます。現に西尾幹二『国民の歴史』のような本も、歴史の専門家がこぞって無視している間に(この本のイデオロギーが気に入らないから無視しているのではなく、歴史学の手続きを踏み外しているから無視しているのです。くれぐれもここを間違えないように。)、少なからぬ人々の支持を集め、ナショナリズム高揚に確実に一役買っているのです。

というのは大いに違和感がある。


『ほとんどは「日本は偉い、中国憎い」という、国家に対するコンプレックスの解消を目的とするもの』というのはどういう根拠があって言っているのだろうか?ちゃんと統計を取った上で言っているのだろうか?


確かに西尾幹二『国民の歴史』はそれに該当するかもしれない(正確には朴斎氏にはそう見えるのだろうということだが)。だがトンデモ研究全体を見たときに「日本は偉い、中国憎い」がほとんどだなんてことがあるだろうか?俺も統計と取ったわけではないが極めて疑わしいと思う。たとえば『万葉集』は朝鮮語で読み解けるという話が「日本は偉い」になるだろうか?徐福一行が日本列島に定住したという話が「日本は偉い、中国憎い」になるだろうか?


(それにトンデモといってもピンからキリまであるわけで、『国民の歴史』はトンデモ本かもしれないけれど、さすがに「古代文献の隠された暗号」といったレベルの話は出てこないだろう。ところが朴斎先生のトンデモ批判はそういたったレベルの批判である。『国民の歴史』を取り上げるのならもっと高度な批判をすべきだし、そうでないのならここで例として取り上げるべきではないと思う。ここで『国民の歴史』が出てくるのはそれこそイデオロギー的なものを感じさせる)


朴斎氏の記事は最初から最後まで、現実を見て論じているというよりも、脳内で考えていることに少しでも合致する事象があれば、全体的にそういう風潮があると決め付けているところがあるように俺には思える。