ウヨクはシミンのなれの果てなのか?

俺は政治思想なんて全く門外漢である。あくまで素朴に、しばしば見られるリンク先のような言説に疑問を持ち、俺が今までいろんなところで聞き知ったことを基に考察したものであるので、断定的に書いてあっても鵜呑みにしないよう、あらかじめ断っておく。


「ウヨク、シミンのなれの果て(EU労働法政策雑記帳)」
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_d632.html
まあ、「右翼」といっても、いろいろあるから一概には言えないので、そういう「右翼」もいるだろうが、それで全てを説明してしまうのは大きな間違いじゃなかろうかと思う。そもそも「保守思想」は、フランス革命への批判として登場したと言えるだろうから、そういう理屈で言えば、民主主義を否定していない現在の保守主義者は、市民の成れの果てということになりはしまいか?


人には二種類の思考方法があると思っている。一つは絶対的に正しいものが存在し、その正しい世界を創造していこうという考え方。もう一つは絶対的に正しいなどというものは存在せず、現実を見て適正な対策を採ろうとする考え方。その二つの両極端の中間のどこかに人は位置するだろう。「革新」とは前者のような考え方である。「保守」とは後者のような考え方である。現実は複雑でそう簡単に割り切れないが、大雑把に言えばそういうことだと思う。
「革新」は「絶対的に正しい」と思われること、例えば「人間は自由であるべき」とかの目標を大前提にして、それが達成されるためには、どうすれば良いかを考える。それが新自由主義の主張となって現われる。
「保守」はそのようには考えない。現在の状況を見て、巨額の財政赤字や、日本の競争力を維持するためにはどうしたら良いかを考える。そして、それに有効な対策であれば、「左翼」が考案したものであっても構わないと考える。一昔前の日本の「保守」といえば、公共事業による景気対策、中央省庁による企業への規制など、官主導の政策であり、日本は「世界で最も成功した社会主義国家」だなんて呼ばれていた。
それは、本来「革新」と呼ぶべきものを「保守」と間違って呼んでいたのではない。その時代の日本にとって相応しい政策が、そのような政策であったから採用したにすぎない。そして事実日本は経済的に成功した。それが今や逆の効果を産み出していると考えれば、それにこだわる必要などない。


それは「絶対的に正しいもの」があると考える人から見れば、無節操・場当たり的に見えるのかもしれない。あるいは、「保守」とは自分達と正反対の人であるという考えから、表面的なことにまでそれを採用して、「左翼的に見える保守」が奇異なものに映るのかもしれない。しかし、そういう見方では現実を見誤るだろう。


これは憲法改正についても同様である。保守勢力の中には昔から改憲を主張していた人もいるが、そうでない人も多数いた。当時の日本にとって、憲法九条は役に立ったのである。しかし今や日本は経済大国となり、東西冷戦は終り、世界情勢は大きく変わった。それに相応しい憲法を求める声が保守から出てくるのは自然なことである。革新にとっては昔も今も憲法九条を支持する理由は変わらない。「絶対的に正しいこと」は不変だからだ。もちろん「保守」の側にも改憲が絶対的な至上課題となっている人達も存在する。そういう人達は見方を変えれば、「革新」とは、ある意味近い関係にあると思う。


(もっともこれはあくまで大雑把な話である。「保守・革新」「右翼・左翼」という用語はいろんな意味で使われているので簡単に説明することは不可能だ。それと本来の保守主義は小さな政府を指向する。世界は複雑で予測不可能であるのに、巨大な権力に一任することは危険だから等の理由からである。しかし長くなるので省略。)