日本は社会主義国?(補足)

日本は社会主義国?
で書き忘れていたこと。


前回書いたのは、要するに見た目が社会主義でも、心の底からの社会主義者と、道具として社会主義を利用している者とは区別するべきだということ。
同様に、見た目が「新自由主義」でも、心の底からの新自由主義者と、道具として新自由主義を利用している者も区別するべき。


そもそも「新自由主義ネオリベラリズム)」というのは右なのか左なのかといえば、新自由主義は右にカテゴライズされることもあるし、左にカテゴライズされることもある。しかし、「自由」という理念を重視するという視点から見れば、左にカテゴライズされるだろう。「伝統」を重んじる右とは対立関係にある。


自由競争を重要視するということは、自由競争になじまない伝統の破壊につながりかねない。実際にホリエモンは去年、

憲法が『天皇は日本の象徴である』というところから始まるのには違和感がある。歴代の首相や内閣が(象徴天皇制を)何も変えようとしないのは多分、右翼の人たちが怖いから」(毎日新聞

と発言したが、彼こそは真の新自由主義者だと言えるであろう。


一方で保守主義とは、一口に保守と言っても、大きな政府を志向するものもあったりするのでややこしいが、本来、保守は巨大な官僚組織を嫌い、自治を大切にする。「民間にできることは民間がするべき」であって、政府の介入を望まない。その点で、新自由主義と共通点が多い。しかし、共通点が多いと言っても、根本が違うのであるから、必ず一致するということはない。現実を見て、社会主義的な政策の方が良いと思える場合には、そちらを選択する。重要なのは「現実」だ。


イデオロギーとしての新自由主義の場合は「自由」という理念を実現するのが目標であるから、それを放棄するということは「敗北」だが、保守主義が採用する新自由主義なら、それは道具に過ぎず、行き過ぎた新自由主義の弊害が明らかになれば、自民党社会主義的政策から新自由主義的政策に変換したように、(「小さな政府」が望ましいとはいえ)路線変更することもそれほど苦になることではない。


切込隊長氏が紹介した、

55年体制社会主義的」だから「日本は社会主義国」であり「旧弊を打破し(有り体に言えば自民党政権を)改革しなければならない

という言説の真意がどういうものなのか、今ひとつわからないのだけど、
社会主義」は駄目で、「新自由主義(とは書いてないけど)」が正しいという意味なら、それはイデオロギーの優劣の問題で、理念を絶対視しない者からすれば、あっち側の問題、
社会主義的政策」はかつて有効だったが、現在は弊害が多いので改革すべきだという意味なら、それは方法論の問題であって、過去が間違っていたということにはならないんじゃないかと思う。
(夏に薄着にするべきだと言ったからといって、冬に厚着をしていたことが間違いだと言ったということにはならないですしね)。