遊就館の歴史観

今年の2月、東京に遊びに行ったとき、遊就館を見学してきた。午後二時頃入館して、閉館が五時だから余裕で見られるだろうと思っていたのが間違いだった。
歴史が好きなんで、「武人のこころ」「日本の武の歴史」、「明治維新」、「西南戦争」と、じっくり見学していたら、日清戦争の展示あたりで、閉館まで時間が僅かしかないことに気付いて、慌ててとりあえず一通り見ておこうと思って、速足で見て回った。
まあ、どちらにしろ近代史は苦手なので、「侵略戦争を正当化している」云々の批判に対して、肯定も否定もできる能力は持ち合わせていない。


元に戻って、近代以前の展示を見ての感想。これが戦後の歴史教育を受けた俺には異様に見える。これが「皇国史観」というものか。
一番印象に残ったのが、学校で習った歴史では足利尊氏が登場すべきところで、楠正成が大きく取り上げられているところ。
逆に尊氏の扱いは小さい。あからさまに「逆賊」と書いているわけではなく、そこは穏健に書いてはあるけれど、戦前の歴史観が反映されているのは明らか。こういう歴史観を俺は受け入れることはできない。尊氏は尊氏で「尊王」の志はあったのだ。歴史にイフはないとはいうけれど、もし尊氏がいなければ皇室が現在も続いていたのかは定かでない。


だけど、尊氏を「逆賊」として、正成を「忠臣」とするような歴史観は、幕末の勤皇の志士が共有していた歴史観であり、それが維新の原動力の一つになったことは否定できない。そしてそれが維新以降も引き継がれた正統な歴史観であり、これによって政府は国民を教育し、近代日本を作り上げてきた。と、同時に政府もまた、この歴史観に縛られることになった。


戦後、戦前の歴史観は否定され、新しい歴史観ができたわけだが、今でもこの「忠臣」「逆賊」を区別する基準は生き残っている。
天皇個人」を尊重するのか、「連綿と続く天皇家」を尊重するのかということは、必ずしも両立するものではない。天皇家を危うくしかねない天皇の意志を尊重すべきか、それとも諌めるべきか。現実的に考えれば後者が正しいということになるだろう。


日本の歴史では、主君の言動によって主家が危うくなったら、家臣がそれを諌め、場合によっては無理矢理隠居させるとかは珍しくないことであったはずだ。今でも上司が間違っていたら、それを諌めるのが勇気ある行動だと考えられている。そんなことは「常識」の範疇に入るといってよいだろう。それにもかかわらず、なぜか言論の場では「常識」ではなく、時には「忠臣」が窮地に立たされることがある。日常生活では普通に行なわれていることであって、追求する側も「潔白」でいられるわけがないと思われるのにもかかわらず。


その点で、戦前の歴史観の核を成している「忠臣」「逆心」の基準は表面上は克服されているように見えて、克服されていないし、それは何も天皇に対するものだけではなくて、「民主主義」や「自由」や「平和」等に関しても言えることであって、例えば憲法改正を支持すれば、それだけで平和に対する敵であると見なすような心情はそれに当たるだろう。