良い例え話と悪い例え話

最近盛り上がっていた財政の話は、そもそも政府を家計に例えた話から始まったんですね。で、それに対して、政府と家計は違うという反論がされたわけです。俺もその通りだと思います。まあ、財政規模がどのくらいなのか、数字が大きすぎて実感できないというのがありますから、そういう意味では例えるのもありかなとは思うけど。


で、これについては、「AとBは違うから例えるのはおかしい」というのは正当な批判だとは思うのだけど、困ったことに、「AとBは違うから例えるのはおかしい」という批判は全ての例え話に対する批判として使えてしまうんですよね。なぜなら例え話とは似た例をあげることであって、似てるというのは同じということを意味しませんから、どこかしら違うところがあるわけですよね。


そもそも例え話をなぜするかというと、わかりにくい話や実感のわかない話を、別のものに例えることによって理解しやすくしようとするものなんだけど、そこで批判者が、「AとBは違うから例えるのはおかしい」という批判をすると、なぜ自分はAをBに例えたかという説明をしなければならないはめになり、話をわかりやすくしようとしたのに、かえってややこしくなるという結果になってしまうこともよくあるんですよね。実際、俺も何度も経験しました。


じゃあ例え話などしなければいいかというと、例え話をすることによって理解しやすくなるので、説明される時も、する時もメリットは大きいんですよね。ところがこれが議論に絶対負けたくないと思っている人につけ入る隙を与えることになるんですね。そういう連中はケチをつけるのが目的であって、最初から納得する気などないのだから、いくら説明したところで無駄なことです。しかし実際に「AとBは違うというのは正しい」のだから、例え話をした方にとっては、その人が誠実であればあるほど、モヤモヤしたものが残ります。この攻撃はかなり有効です。有効なんでかなり多用されてます。


ところが、その例え話は本当に不適切なものかもしれないですよね。それなのに、あいつは俺の例え話にケチをつけたいだけなんだなんて、悪者扱いされたりするのも又困ったことですよね。


で、結局どうすりゃいいのさってことなんだけど、どうすりゃいいんだろう?わかりましぇーん。


(ちなみに同様のことは、Aの場合にはこう行動したのにBの場合はああ行動したというダブスタを指摘した場合にも、「AとBを同列にするな」というのを頻繁に見かけますね)