言説のキャッチボール

スピリチュアルカウンセラーに関するブログ記事を読んでいたら、コールド・リーディングという用語が出てきた。


コールド・リーディング(ウィキペディア)


詳しいことはリンク先を読んでほしいのだけれど、要するに、会話を続けていく中で無意識に自己の情報を相手に与えているのにもかかわらず、何も知らないはずの相手がそれを言い当てたことに驚いて相手を信頼するようになるという話術。相手を騙す目的で行なわれることもあるが、お互いに自覚しないまま、偶然そうなってしまう場合もある。


ところで、俺は日本史に興味があるわけだが、「偽書」とか「捏造」とかに関して、これと似たような現象が起きる。それを藤原明氏は「言説のキャッチボール」と名付けた。


図書館で読んだので具体的にどう書いてあったか忘れたけど、俺の理解では、たとえばある人物が古代の遺物を発見したとする。実はこれは捏造品で、それを見た学者も疑問点が多いので簡単には信用しない。そこで学者は「発見者」に質問する。「○○が発見されたのなら、××もあるはず」と。すると、しばらくして発見者が「先生が先日おっしゃっていた××が見つかりました」とそれを持ってくる。もちろん捏造。本来なら、都合よく見つかったことを疑わなければならないのだけど「あればいいのに」という意識が存在すれば、信じてしまうことがある。それを繰り返すことで、信用はどんどん強固なものになっていき、少々矛盾点があっても見落としてしまう。こんな感じだったと思う。


2005年にフィリピンで日本兵が発見されたというニュースが話題になった。結論から言えば「誤報」であったのだろう。しかし、報道はあやふやなものではなく、日本兵の名前とか、何日に大使館の職員と面会するとか、具体的な情報が流れていた。一体どうしてこんなことになってしまったのだろうか?それはこの「言説のキャッチボール」があったのではなかっただろうか。現地の人が日本兵を見たという大雑把な情報(フィリピンにはそういう都市伝説がある)であって、その「目撃者」に質問する過程で、無意識に質問者が情報を提供していたなんてことがあったのではないだろか(あくまで俺の推理であって本当のところは不明だけど)


で、前に書いた「上申書事件」。この事件について新潮社が本を出版した。その紹介文。


「新潮45」編集部『凶悪―ある死刑囚の告発―』

果して、これだけの人がこの世から消されて、誰にも気づかれずに済むなんてことがあり得るだろうか。しかも、警察にまったく把握されていないなんてことが……。
 当初はこうした疑念を強く感じた。しかも、証言者は極悪非道の殺人犯。本音を言えば、適当な理由をつけて、投げ出すのが無難である。
 しかし、五里霧中で私は後藤との面会を重ねた。さらには、茨城の北の端から南の端まで、広域化する事件の現場を駆け回り、膨大な時間を費やして検証作業も行なった。その結果、疑念は確信へと変わった。彼の証言は真実性が高く、このまま放置できないと判断。茨城県警に取材結果をまとめたレポートを提出して 通報するとともに、前記の記事を発信するに至ったのだ。

「当初はこうした疑念を強く感じた」が「面会を重ね」「検証作業も行なった」結果、「疑念は確信へと変わった」という。もちろん結果が真実であっても、こういう経過をたどるのだろう。だがしかし…


もちろん、実際に逮捕されているわけで、それはそれなりの理由があったからだろうし、逆に、俺がこの事件について知っている情報は報道で得たものに限られるし、それも全てを調べたわけではないから微々たるもの。だから、某教授の痴漢事件では冤罪だと決め付けるような主張が多く見られたけど、それと同じようなことはしたくない。ただ、多少疑問なところがあると考えているだけであって、それ以上でも以下でもない。