相撲と女人禁制

H-Yamaguchi.net: 記録史上日本初の「相撲取り」は女性であったらしい


相撲と言えば、日本書紀垂仁記にある、野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)の「角力」が有名。
相撲(ウィキペディア)


「相撲」という文字が書かれている最初が、雄略記の上記エピソードで、また記録上最古の女相撲ということでもあるらしい。


ただ、この「神話」(個人的に史実でないと思うので「神話」と書く)が何を意味しているのかは考える余地がありそう。というのも、そもそもなにゆえ「女人禁制」というものがあるのかを考えてみなければならないと思うから。


というわけで、
女人禁制(ウィキペディア)

を読んでみたのだけど、どうもピンとこない。なので俺の素人考えを書くと、要するに「女人禁制」は、タタリを恐れたものではないかと思う。鉱山に女性が入ると落盤事故が起きるなどというような、女性が関わると不吉なことが起きるという信仰。なぜ女性が入ると不吉なことが起きると考えられたのかは、また難しい話になるから省くけれど。


で、もしそうならば、上記の雄略記の「神話」は、まさに女性が相撲を取ったので、不吉な事が起こったという話であると解釈できないこともない。すなわち猪名部真根(いなべのまね)は女相撲に見とれてしまったので、斧の刃を傷つけてしまったのである。女相撲を取らせたのは雄略天皇で、真根が自慢するので試してみて、真根が失敗したので処刑しようとしたのだけど、工匠の同僚が哀しんだ歌を聞いて、後悔して処刑を取り消されたのであった。それは処刑を命じたのを後悔したと解釈することもできるが、それ以前の段階である女相撲を見せ付けて真根を試そうとしたことで、不幸な事態を招きかねなかったことを後悔したと解釈できないこともない。


ところで、雄略記のこの話の前に、木匠の闘鶏御田(つげのみた)のエピソードがあるのだが、こちらは、天皇が御田に楼閣を造ることを命じたので、御田が高楼で働いていたところ、それを見た采女が倒れてしまい、天皇は御田が采女を犯したのだと疑って処刑しようとしたのだが、秦酒君(はたのさけのきみ)の歌によって、天皇は心変わりをして許したという話である。


この二つの「神話」は、女性が介在することによって、死ぬ寸前だった「匠」が、歌の力によって救われたという話であり、両方とも出典が同じで、元々は労働歌のようなものだったのかもしれない。ちなみに闘鶏御田については「一本云、猪名部御田、盖誤也」とあり、こちらも猪名部の可能性がある。


そう考えると、相撲が女人禁制だというのは、それが破られると相撲取りや相撲協会に災いがあるというよりも、世の中、特に職人に災いを招くという考え方なのかもしれない。


なんてね。


(追記23:10)
調べたところ、女相撲は雨乞いの儀式として行なわれていたそうだ。
女相撲について


これはあえてタブーを破ることにより、神を怒らせて雨を降らせようということらしい。


雨が降ることが「災厄」なのか「恵み」なのかは、「円高」が望ましいのか望ましくないのかと同じで人によりけりなわけだが、ここでは「災厄」として捉えられていて、なおかつそれは農民にとって実は「恵み」であるという構図。では、誰にとって「災厄」なのかと考えると、やはりそれは「匠」にとっての「災厄」なんじゃなかろうかと、個人的には思う。


「大工殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればいい」とも言われているし。