天長節(2)

日経春秋 春秋(11/3)

▼有三の意見はこうだ。「公布した日こそ新憲法ができた日だ。公布しなければ施行できないのだから」。一方、衆議院が選んだのは施行日の5月3日。有三の言い分を認めると、明治天皇誕生日を祝う旧憲法下の明治節が新生日本を象徴する祝日になってしまうことが話をややこしくした。

これだけ読むと、よくわからない部分がある。明治節の11月3日が憲法公布日になったのは偶然なのか否か。


文化の日(ウィキペディア)

戦前から文化の日の制定までは、明治天皇の誕生日であることから明治節(明治時代には天長節)という祝日になっていたが、これとは関係なく定められたということになっている。

というわけで、公式には関係ないとされているらしい。だが、

山陰中央新報 - 憲法と特異日

なぜこの日が公布日になったのか、人間ドラマがあった▼以下は「新憲法の誕生」(古関彰一著)による。吉田茂首相は当初、施行日を一九四七年二月十一日と考えていた。この日は紀元節明治憲法の公布日だ。だが審議が長引き、思惑が外れた。急きょ考えたのが明治節を公布日に当てる案だった▼その結果、施行日は半年後の四七年五月三日と決まった。吉田首相は「してやったり」と思ったに違いないが、マッカーサーは、その上を行っていた。「五月三日は極東国際軍事裁判所の開廷一周年の日。その日に平和憲法が施行される」

なんて記事もある。


さらに、ここには、
4-16 新憲法の公布日をめぐる議論(国立国会図書館「日本国憲法の誕生」)
日本国憲法成立の経緯原稿5 入江俊郎文書 66(国立国会図書館「日本国憲法の誕生」)

公布の日は結局施行の日を確定することになるが、一体何日から新憲法を施行することがよかろうかというので、大体五月一日とすれば十一月一日に公布することになる。併し五月一日はメーデーであつて、新憲法施行をこの日にえらぶことは実際上面白くない。では五月五日はどうか。これは節句の日で、日本人には覚えやすい日であるが、これは男子の節句で女子の節句でないということ、男女平等の新憲法としてはどうか。それとたんごの節句は武のまつりのいみがあるので戦争放棄の新憲法としてはどうであろうか。それでは五月三日ということにして、公布を十一月三日にしたらどうか、

と書いてある。面白いですね。