天長節

日経春秋 春秋(11/3) - finalventの日記
へぇ。そうなんだ。というか「文化の日」って「天長節」だったんだ。初めて知った。いや、初めてってことはないか。何回聞いても速攻で忘れちゃったんだろう。関心なかったから。だけど、今回は印象に残った。もう忘れない。


なぜかっていうと、この前、「ラムセス2世の神殿」って記事で、ラムセス2世の誕生日と即位の日にアブ・シンベル神殿の奥まで太陽の光が届くってことについて書いたんだけど、その時、ついでに日本の誕生日の風習についても調べていたから。


日本 誕生日 習慣 - Google 検索

を見れば、「日本には誕生日を祝う習慣はなかった」「明治になってキリスト教文化が入ってきてから」「元旦が誕生日」「一歳の誕生日だけを祝った」みたいなのがいっぱいある。


何年か前のことだけど、歴史系掲示板で何度か話題になったことがあって、その時も日本では一般に行なわれていなかったけれど、足利将軍(誰だったか忘れた)が祝ったという記録があるみたいなことが書かれていて、そうなんだと思っていたところ、室町時代のある人物の日記を読んでいたら、その人が旅の途中、誕生日に一人で祝杯したということが書かれていたんで、驚いた思い出がある。


本当のところがよくわからない。


で、今日は「天長節」だっていうんでウィキペディアで検索したら、「天皇誕生日」の項に飛ばされて、そこには、
天皇誕生日ウィキペディア

天長節の名は古く、唐は玄宗皇帝の誕生日を天長節と祝った事に由来する。天平元年(729年、中国暦開元17年)に千秋節と改められたが、20年後の天宝7年には天長節に改められた。天長は老子の「天長地久」よりとられている。

日本においては27年後の宝亀6年(775年)の光仁天皇の時代、10月13日に天長節の儀がとりおこなわれ、臣下は天皇の好物の酒を献上し、宴を賜ったという。このことは宝亀10年の記録にも見受けられ、平安時代においても行われていたようである。室町時代には御湯殿上日記の記述にも祝われたことが伺える。

と書いてある。宮中では少なくとも室町時代までは祝われていたとは。全く驚くことばかり。