物質から何らかの心理的・宗教的影響をうける、言いかえれば物質の背後に何かが臨在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受けるという状態、この状態の指摘とそれへの抵抗は、『福翁自伝』にもでてくる。しかし彼は、否彼のみならず明治の啓蒙家たちは、「石ころは物質にすぎない。この物質を拝むことは迷信であり、野蛮である。文明開化の科学的態度とはそれを否定棄却すること、そのため啓蒙的科学的教育をすべきだ、そしてそれで十分だ」と考えても、「日本人が、なぜ、物質の背後に何かが臨在すると考えるのか、またなぜ何か臨在すると感じて身体的影響を受けるほど強くその影響を受けるのか。まずそれを解明すべきだ」とは考えなかった。(『「空気」の研究 山本七平』
諭吉は本当にそう考えていたのかという疑問については既に書いた。
ところで、諭吉少年が稲荷の神体である石を捨てて、代わりの石を入れても平気だったのはなぜかと言えば、それは「近代科学」などではなく、家が浄土真宗であったことの影響が大きかったのだろうと思う。
親鸞という人は、「かなしきや道俗の 良日吉日えらばしめ 天神地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす」と言った人だ。浄土真宗が「近代科学」ではなく「宗教」であることは言うまでもない。
さらに、諭吉の場合、母親の影響が大きかったのだろう。
また宗教について、近所の老婦人たちのように普通の信心はないように見える。例えば家は真宗でありながら、説法も聞かず「私は寺に参詣して阿弥陀様を拝むことばかりは、可笑しくてキマリが悪くて出来ぬ」と常に私共に言いながら、毎月、米を袋に入れて寺に持って行って墓参りは欠かしたことはない(その袋は今でも大事に保存してある)。阿弥陀様は拝まぬが坊主には懇意が多い。(『福翁自伝』岩波文庫)
真宗なのに阿弥陀様を拝むことが出来ないというのは真宗を否定しているようなもので、「原理主義」から見ればトンデモナイことだろう。ところが、それでいて坊主と懇意にしている。矛盾しているようだけど、相反するものが平気で同居している。
ところで、俺はこの諭吉の母親と似たような宗教観を持っていた人について書かれたものを前に見たことがある。
彼のキリスト教は、通常のどのカテゴリーにも属さなかった。……彼の宗教観から一貫性のある教義体系を引き出そうとしても、おそらく無理であろう。彼は別々のことを別々のときに信じ、そこに矛盾を認めなかった。(『保守主義 ― 夢と現実』 ロバート・ニスベット著)
これはイギリスの首相だったディズレーリについて伝記作家が述べたもの。政治的保守主義者にとって重要なのは、宗教の原理ではなく制度的側面なのだ。