築山殿は悪女

築山殿が悪女だというのが、少数派であるならば、あえて「築山殿の名誉のため」に悪女説を主張したい。


そもそも「悪女」とは何か?「中国三大悪女」と言えば、呂后武則天則天武后)・西太后のことで、国を陥れた女性だとされている。日本では北条政子日野富子淀君が三大悪女であったらしい。


日野富子淀君はまだわかるけれど、北条政子がなぜ悪女なのかというのは、「悪女」を単純に「悪い女」という意味だとすると理解しにくい。俺が思うに、日本での「悪女」とは、色香で男を惑わしたとか、女の浅知恵で国を陥れるとかいう意味ではなく、「男勝りの」とか、「常の人とは違う」という意味があるのだと思う。つまり中世の「悪党」が「悪い」というよりも「強い」という意味があったのと同じニュアンス。


で、築山殿。彼女の母は今川義元の妹。人質時代の家康にとって、非常に地位の高い女性であった。その地位の高さは、今川家滅亡後であっても変わりなく、徳川の家中にあって、相当な権力、それも家康から独立した権力を保持していたのではないだろうかと俺は考えている。それが家康にとって相当な重荷となっていて、あの悲劇につながっていったのかもしれない。また、その背景には、在地の豪族の長のような存在であった領主の役割が、兵農分離の進展により変化してきたという、歴史の大きな流れがあるのかもしれないと思ったりもする。


この時代の女性は、「かよわき」存在ではなかった。俺は横山光輝の漫画で見ただけだけど、山岡荘八の『徳川家康』で家康の初恋の人として「亀姫」という女性が登場する。この女性は後に引間城(浜松)の飯尾豊前守に嫁ぐんだけれど、豊前守亡き後「女城主」となり、家康と合戦して壮絶な討ち死にをする。
椿姫観音 浜松名所史跡めぐり(静岡県)


なお、この女性には、井伊直平に毒を持って暗殺したという武勇伝もある。で、その井伊直平の曾孫が井伊直虎と言うんだけれど、名前を見ただけではわからないけれど、れっきとした女性。
井伊直虎(ウィキペディア)