阿弥陀ライン

昨日は江戸幕府浄土真宗について書いたけれど、このことに関して外せない重要な問題がある。それは内藤正敏氏が発見した「阿弥陀ライン」。豊臣秀吉の墓は阿弥陀ヶ峰にある(豊国廟:京都市東山区)。

なぜ、阿弥陀ヶ峰に埋葬されることに執着したかというと、生前、秀吉は死んだら八幡大菩薩で祀られたいといっていたからだと思うんです。なぜなら本地垂迹説では、八幡の本地は阿弥陀如来ですからね。それでこの阿弥陀ヶ峰から見ると、東本願寺西本願寺がまっすぐ西のほうに見えるんです。

本願寺浄土真宗ですから、本尊は阿弥陀如来です。

阿弥陀ヶ峰と本願寺をむすぶ東西線は、聖なる阿弥陀ラインを形づくっているわけなんです。

以上、『鬼がつくった国・日本』(小松和彦内藤正敏 光文社)より。


俺はこの説を随分前から知っていたけれど、あまり信用していなかった。なぜなら、内藤氏は「まっすぐ西」と言っているけれど、地図を見れば明らかなように、二地点を繋いだ直線は「まっすぐ西」ではなくて、西へ行くほど北に傾いているからだ。この手の話は「まっすぐ」とか「ちょうど」とか「ぴったり」と書いてあったとしても、素直に信用することができない(民間研究者だけではなく、学者であってもアバウトに表現しているものが実に多い)。


ところが、俺は最近この「豊国廟」に注目するようになった。三井寺天智天皇陵、淳和天皇御火葬所が一直線に並んでいて、さらに豊国廟もこの直線上にあるということを「発見」したからだ。


桓武天皇陵はここだ! - 国家鮟鱇


そこで、再び「阿弥陀ライン」について調べてみることにした。俺の持っている電子辞書は道路などの細かい情報が記されていない。しかし、Googleマップだとそれがわかる。以前はGoogleマップで直線を引くと技術的な問題があったのか、かなり不正確だったので敬遠していたのだけど、最近改良されたみたいで、非常に便利になった。



大きな地図で見る


地図を拡大して、豊国廟周辺を見ると驚くべきことに、阿弥陀ヶ峰と西本願寺を結ぶ左肩上がりの直線の傾きと、豊国神社参道の傾きが見事に一致している(ただし、現在の豊国廟は明治になって再建されたもので、本来の場所が調べても良くわからないので多少の誤差はある。とはいえ、これほどまで一致しているのが偶然とは思えない)。これは「本物」だと考えて良いだろう。なお、内藤氏はこの参道の傾きについては言及していない。


で、ここまでは本願寺豊臣秀吉の関係。これが江戸幕府とどう関係するかというと、内藤氏によれば、家康はこの阿弥陀ラインを断ち切る目的で、豊国神社跡地に智積院を建てさせたのだそうだ。智積院は秀吉の根来征伐で焼き打ちにされた根来大伝法院の一院。つまり秀吉が意図的に作ったラインを、家康が意図的に断ち切ったということ。


ここまでは内藤正敏氏の主張。この内藤説に加えて『日光東照宮の謎』の高藤晴俊氏は、参道を封鎖するために、新日吉(いまひえ)神社を移転したこと(明治になって参道整備のため立ち退いた)。さらに、阿弥陀ヶ峰と西本願寺の間に東本願寺を建てさせたことを付け加えている。これもおそらくその通りだろう。


だが、これらの主張が、歴史学界で受け入れられているかというと、良く知らないけれど、おそらくスルーされていると思われ。



なお、蛇足だが、これが宮元健次氏の『日光東照宮隠された真実』になると、これらの説をアレンジした上で、さらに「かごめ歌」は豊国廟について歌ったものではないかなどと主張していて一気にうさんくさくなる。