天智天皇暗殺説について考える(6)

万葉集

一書に曰(い)はく、近江天皇(あふみのすめらみこと)の聖体不与にして御病(みやまひ)急(には)かなる時、大后の奉献(たてまつ)る御歌一首
一四八 青旗(あおはた)の木幡(こはた)の上をかよふとは 目には見れども直に会はぬかも

『逆説の日本史』で、「『扶桑略記』の「天智は暗殺された」という記述を、証拠立てる事実」として紹介されている歌。


「逆説」に引用されている、「『万葉集』桜井満訳注 旺文社刊」によると、

山科の木幡の山の上をみ魂が行き来しているとは、目には見えるけれども、これを天皇のお体に呼び戻してじかには会えないことだ。
遊離して行こうとする天皇の霊魂を山の上に見たと信仰的に感じている。しかしこれを留めることが出来ないと嘆いているのであろう。魂呼ばいしてもどうにもならぬ嘆きを歌っている。

ということらしい。それに対して井沢氏は、

「書紀」によれば、天智は近江京の宮殿のベッドの上で死んだはずだ。それなのに、どうして縁もゆかりもない山科で、魂が彷徨わなければならないのか。

と疑問を呈し、

天智は山科(木幡)で変死を遂げたからこそ、その魂は山科のあたりを彷徨っているのだ。

と結論づけている。


もちろん俺は天智天皇が暗殺されたなどとは全く考えないけれど、この歌が難解であることは確かだ。この歌は天皇がまだ生きているときに詠まれたということになっている。それなのに魂が木幡の山の上を行き来しているというのだ。しかも、皇后にはそれが見えるという。言うまでもなく「科学的」には有り得ないことだ。もちろん、そこは「宗教的・呪術的」に解釈しなければならない。しかし、だからといって何でもありというわけではない。


まず、まだ生きている人間の魂が彷徨うというのは一体どうしたことだろう?それは「生霊」ということになる。が、古代において「生霊」というものがどういうものであったのか、俺はよく知らない。
生霊(ウィキペディア)
魂呼ばい(ウィキペディア)
これらを読んでもよくわからない。意識不明の状態だったとしたら、魂が肉体を離れていると想像することは確かにありそうなことではあるけれど。


で、皇后にはそれが見えるという。これまたどういうことか?魂が目に見えるというと、思いつくのは「ヒトダマ」だけれど、皇后の目に見えたものが「人魂」であるという確証はない。そもそも歌では「魂」とは一言も言っていない。「魂」のことだろうと解釈しているだけだ。先に書いたが、古代人は死者が鳥になると考えていたと思われる。皇后が見たのは「鳥」かもしれない。だが、天皇はまだ死んでいないので、それもおかしな話だ。ただし、天皇が死んでいないというのは「一書に曰く」ということであり、本当は死後に詠まれたものだという可能性もある。わからない。


さらに、問題は、皇后が見たものが、「魂」であろうと「鳥」であろうと、それは山科の上を飛んでいるのだ。ところが皇后は近江にいるはずだ。近江にいながら、山科の上を飛んでいるものが見えるというのはどうしたことか?千里眼の持ち主か?


そして、もちろん井沢氏の言うように、なぜ天皇の魂が、山科の木幡の山の上を行き来しているのかという問題がある。


俺は古文苦手だけれど疑問点がいっぱいあるのである。
(ついでに当時の死の判定基準というのはどんなものだったのだろうかという疑問も沸いてきた。心臓が止まった状態のことなのか、まさか脳死ではないだろう。逆に現代では死んでいるとされている状態でも、生きているとされていたかもしれない。そういうことを考察したものは多分あるんだろうけれど勉強不足で知らない)。