天智天皇暗殺説について考える(5)

さらに、天智天皇の「沓」が落ちていたところを山陵にしたということについて、こだわってみたい。なぜ「沓」が落ちていたのか。もちろん、暗殺事件の際に沓が脱げ落ちたのだとは思わない。


そもそも落ちていたからといって、それは「落ちてしまった」ということだとは限らない。自主的に沓を脱いだのかもしれない。沓が落ちていたのは、天智天皇が沓を必要としない状態になったということではなかろうか。沓が何のために必要なのかといえば、それは足の裏と大地が直に接触するのを防ぐためだろう。従って、沓を必要としないということは、足と大地が接触していないということを意味しているのではないか。


よく幽霊には足がないといわれる。足がなければ沓は必要ない。足のない幽霊は江戸時代に円山応挙が書いた絵が最初だとも言われている。ただし、それ以前からあったというのが真相らしい。とはいえ、それが平安時代、あるいはそれ以前から幽霊に足がなかったかといえば、そういうことではないだろうとは思う。
足のない幽霊(ウィキペディア)


しかし、「幽霊」に足があったとしても「空中浮遊」していれば、やはり沓は必要ない。天智天皇が神仙になったのであれば、空中浮遊も可能であったかもしれない。だがもう一つの可能性がある。


それは天智天皇が「鳥」になったという可能性。

群卿に詔し、百僚に命じて、伊勢国の能褒野の陵に葬られた。そのとき日本武尊は白鳥となって、陵から出て倭国をさして飛んでいかれた。家来たちがその柩を開いてみると、衣だけが空しく残って屍はなかった。そこで使いを遣わして、白鳥を追い求めた。倭の琴弾原(奈良県御所市富田)にとどまった。それでそこに陵を造った。白鳥はまた飛んで河内に行き、古市邑(大阪府羽曳野市軽里)にとどまった。またそこに陵を造った。時の人はこの三つの陵を名づけて、白鳥陵といった。

(『全現代語訳 日本書紀宇治谷孟 講談社

翼なすあり通ひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ(2-145)
【通釈】皇子の御魂は鳥のように空を往き来しては何度も結び松を見たであろうが、人が知らないだけで、松はそのことを知っているだろう。

山上憶良 千人万首
(「皇子」とは有間皇子のこと)


あと後の時代だけど、有名なのが室町時代の『御伽草紙』。

絶望した太郎は玉手箱を開け、三筋の煙が立ち昇り太郎は鶴になり飛び去った。

浦島太郎(ウィキペディア)


古代人には死者(の魂)が鳥となるという考えがあったようだ。「魂」と書いたのは、そう解説してあるのが多かったからなんだけれど、こうして見ると「魂」というより、「現実の肉体」が、「実体を持った鳥」になると考えられていたように俺にはみえる(あくまで個人的な感想なんだけど)。


で、結局、天智天皇は「神仙」になったのか、それとも「鳥」になったのかといえば、俺は両方の要素が取り入れられているんだろうと思う。