大河ドラマ「篤姫」の伏線

 今日の「篤姫」は夏ばてでスタッフがボケていたのじゃないか。
 最初のほうで篤姫が、薩摩から来た中に「小松尚五郎という者がいるか、調べられるか」と問う。続いて久光に会うのだがその際小松帯刀もついてくる。その後、将軍に頼んでもう一度帯刀と会う機会を作ってもらい、そこで篤姫は、肝付尚五郎が小松家へ養子に入り小松帯刀となったことを初めて聞くのである。
 たとえフィクションだとしても、それなら最初の「小松尚五郎」という台詞は「肝付尚五郎」でなければおかしいのだ。

「篤姫」の大ポカ - 猫を償うに猫をもってせよ


というわけで文字おこし。「第37回」の最初のほう。

「薩摩から此度江戸へ来た者達だが、」
「その者達の中に、小松尚五郎という人物がいるかどうか調べられるか?」

次に尚五郎との面会場面。

「失礼いたします」(大奥の女中が碁盤を持ってくる)
「薩摩のことをお聞かせください」
「今和泉の方々はお変わりありません。お母上も、忠敬殿も」
「そうですか。あなたは、まだお一人ということはありませんよね」
「妻を娶りました」
「お相手は、どのようなお方なのですか」
「近(ちか)です。そうなのです」
「では、養子に入られた時に」
「はい、六年になります」
「そうですか、お近さんと」
「はい」
「お子さんは」
「いえ、まだ」
「そうですか。でも、お二人が夫婦(めおと)になられるなんて、縁というのは、わからないものですね」
「そうですね。それと、わたくしは名を小松帯刀と改めました」
小松帯刀殿」
「はあ」

篤姫は「養子に入られた時に」と言っている。つまり小松家の養子になったことは知っていたが、「お近」と結婚したということは知らず、「帯刀」と改名したことも知らなかったということ。


で、この伏線は「第17回」にちゃんとあったりする。

「そうですか、清猷殿が」
「はい、さぞやお心残りだったと思います」
「大切な人が逝ってしまうというのは、悲しいものです」
「父上様のことも残念でした」
「はい」
「母上様はお元気です。忠敬様も」
「そうですか。それにしてもお帰りになられるとは、江戸にいらしてから日も経ておらぬのに」
「くやしいです、無念です」
「でも、お近様はお心強いでしょう、ご兄弟になられるのでしょ」
「そう、そうですね」
「どうしたのですか」
「いえ」
(女中)「失礼いたします。お殿様からにございます」(碁盤を持ってくる)

この時に篤姫は尚五郎が小松家の養子になることを知ったのだけれど、尚五郎は「お近」と結婚するということを篤姫に言えなかったのであった。そして、この会話の後、篤姫と尚五郎は碁の勝負をして、尚五郎は篤姫に負ける。その時の台詞が「負けました」。で、今回は帯刀が勝って篤姫が「参りました」と言う。


それと、17回での会話の最後に、

「尚五郎さんに言われると、本当にそう思えてきます。またお会いできる日があるのでしょうか」
「いつかきっと、また」

というのがあるけれど、今回も

「また、またあなたと会えますように」
「お会いできます。必ずや」
「必ず」
「必ず」

という会話があった。これまた次の伏線なのだろう。


(追記)
篤姫が尚五郎と近が結婚したと考えていなかったということについてなんだけれど、これも近が7歳年上で病弱という設定をして伏線を張っていると思われ。そう考えると今回の会話で「お子さんは」と聞くのも意味ありげ。側室の話が次の対面で出てくる予感。


このあたりの「史実」については桐野作人先生のブログが詳しい。
尚五郎の小松家相続 - 膏肓記
7歳年上? - 膏肓記