イザヤ・ベンダサン(山本七平)は何を間違えたのか(1)

注:これは自分の頭の整理用ですので悪しからず。


まず、『日本人とユダヤ人』から引用。

というのは、サンヘドリンには明確な規定があった。すなわち「全員一致の議決(もしくは判決)は無効とする」と。とすると、新約聖書の記述では、イエスへの死刑の判決は全員一致だったと記されているから、当然、無効である。この場合どう処置するかには二説あって、一つは「全員一致」は偏見に基づくのだから免訴、もう一つは興奮によるのだから一昼夜おいてから再審すべし、としている。だがイエスの場合、このいずれをも無視して刑が執行されている。


「全員一致の議決(もしくは判決)は無効とする」が「死刑判決」のことなのか、全ての裁判のことなのかについては、後回しにする。ここでは取り敢えず「死刑判決」のことだということにしておく。そして、これはかなり困難なことだが、読者も「死刑判決」のことだと理解したということにしておく。


その上で、サンヘドリンの「規定」について読者はどう理解できるだろうか。そこから始める。といっても、他人のことはわからないので、自分がどう理解したかを述べる。


第一に「全員一致の判決」とは何か。「判決」という文字を見て連想するのは日本の裁判の「判決」だ。「一審判決」「二審判決」の判決だ。「一審で判決が出た」と言うことは、それで一旦終了。控訴して新たに判決を求める。普通そう連想するだろう。「全員一致の判決は無効」ということは、日本で言えば、「一審判決が無効」ということなのだと思ってしまう。


次に、この場合の処置だが、一つは「免訴」。これは、有罪・無罪を判断することなく訴訟を打ち切ることだと、そう考えるだろう。


次が、「一昼夜おいてから再審」。これが曲者。「一昼夜」とは「丸一日」ということだ。初日に「一審判決」が出て「一昼夜」おくのなら「再審」は翌日ではなく「翌々日」なのだ。


もちろんこれは俺がそう理解したということで、他の人は違うかもしれないのだが、そういう理解ができないということもないだろう。


次にこれを、現在、俺が理解している「真相」と比較して検証する(つづく)。