素人の俺でも疑問を持つ説が大手を振ってまかり通るということ

「ピラミッドは、何のために作られた?」(ハード版)
という記事が人気エントリーになっている。


俺がこのブログでこれを取り上げたのが2007年の06/22。
ピラミッドは公共事業だった?
それから、
ピラミッドは公共事業だった?の続き
クルト・メンデルスゾーン著『ピラミッドの謎』
ピラミッド公共事業説
と何回も記事を書いた。


上の記事は「2007/9/10 追記」とあるので俺が最初に書いた時にはなかったはず。見ていれば当然これを参考にした。


これを書いた人は吉村作治氏を批判している。しかし、俺はこの説の流布の原因が吉村作治によるものという認識はなかった。そして、俺はこの説に疑問を持ってはいたが、学者の間でも有力な説として受け入れられているのだろうと思っていた。


というのも、この説が登場する文章に「吉村作治によると」などという説明があることは滅多になかったからだ。「吉村作治の著書によると」というのなら少しはあったが、これでは吉村氏が主張しているのか、吉村氏がそういう説を紹介しているのかわからないし、どっちかというと後者の印象が強かった。そしてそれよりも圧倒的に多かったのが「最近の研究によると」といったものだった。


吉村作治によると」と「最近の研究によると」では受ける印象が大きく異なる。別に吉村氏の学者としての資質がどうのということではない。たとえ超一流の学者が唱えているとしても同じだ。後者の場合は、その筋で多くの人から認められた説という印象が強まる。



そして実際、俺はこの説をいろんなところで見たことがある。それらはネット上で素人が書いたものだとは限らない。知識人・文化人・作家などが書いているのを見たことがあるのだ。中には学者が書いたものもあったと思う。


ただし、具体的にどこに書いてあったかは思い出せない。ここが実のところミソで、俺はピラミッドに興味があって、それを調べている時に見たわけではないのだ。別のことに興味があって、それを調べているときに目にするのだ。


たとえば、「ピラミッドは宇宙人が作ったものではない。最近の研究では公共事業であることがわかっている」とか、「日本の巨大古墳はなぜ作られたのか?ピラミッドは最新の研究では公共事業であるとの説が有力である」とか、そういったものを通じて(公共事業説の存在を)刷り込まれていったのだ。


何事にも検証が必要であるとはいえ、生身の人間には限界というものがある。検証するにしても優先順位というものがある。興味の対象がピラミッドではなく別のものである場合、優先順位の低いものは他人の言説をとりあえず信用するのは仕方がない。


もちろん、その際に批判があることを知っていれば、判断材料になる。


ところが、驚くべきことに、ピラミッド公共事業説には批判らしい批判がほとんど存在しないのだ。俺が疑問に思って調べたときにはそうだったし、今でも上の記事くらいのものだろう。それは専門家内では周知の事実だったのかもしれないが、我々の目には届いていないのだ。


これは吉村作治氏一人の責任ではない。たとえば「アポロが月に行っていなかった」という説があって、それを信じる人が少なからず存在するとはいえ、それを批判する言説は世の中に溢れている。慎重な人なら盲信することはない。しかし「ピラミッド公共事業説」は無批判のまま現在でも繁殖し続けているのだ。


何でこうなってしまうのか良くわからない。しかし、何とかしなければならないでしょう。